ブックタイトルふるさと潮来 第一輯
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ふるさと潮来 第一輯
同年凶月十一日附税制改革宇都宮K税務監督局新たK出来間税謀長拝命後ち仙台税務監督局K転任同時K高等官K任命庶務蘇K栄転す同三十一年九月米沢税務者長と為る同三十二年四月再び仙台K戻一hy税務署長と為D姶年間此の地K勤務土産話ー「水郷承安物Lー等与野ぎがくのり阪寄山東せ々の集か北那まら方須つ、K 兄てしつ弟、たらと渡た左潮良!) るャ来瀬落上ヲの川ち野づ宿やる、け鬼一下上H 怒川左どあつめ果ては阪東太郎と呼ばれる利根川(背は香取海叉は常陸川とよばれた)と念。て太平洋K流れる。その利桜川は、常陸固と、下総国の、その真中を流れ、砂々たる大河を念して、霞ヶ浦や十六島を形ちどP、「天下K冠たる」風光明細念る水郷の美を創り出している。乙の利根川をはさんで、神代の乙ろ、関東地方を開発した、武満寓槌命、経津主命を祭る鹿島、香取の両神宮の大鳥居が、悠久える大刺根の流れとともK、今も左お厳然とhaえ立ち、遠い神代の背を偲す同四十一年四月宇都宮K同じ〈箸長として転任され同時K高等官四等正六位K叙さる(筆者は漢詩人延方史蹟研究家)証一山(一)宇野沢竹童ばせているU-62-その神代から約一千年を下って7‘世は保元の乱(一一五六年)が鎮まって、さらK十年余Pが夢のようK過ぎ去P、平清盛が太政大臣と在って、「平氏Kあらざる者、人κ非ず・:」と、一言われていた承安ご一七一年l一一七五年)の世の頃である。下野国K表族として知られた那須一族は、保元の乱K源義朝K従って白河殿に敗れ、辛〈も逃れて、領地那須野K帰っていた。その那須一族は、古くから弓の那須家とまで言われる家柄で、毎年、下総国香取にある、香取神宮の祭典Kは、きまって那須一族は弓の師範として招かれていたoとの年、病床の父の名代として、嫡子の絵一宗高と、弟の大八郎の兄弟が初めて香取に参ずる乙とK左った。まだ若い除一宗高と、大八郎の兄弟は、供の者も連れずKただ二