ブックタイトルふるさと潮来 第二輯

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概要

ふるさと潮来 第二輯

降って前九年の役に安倍の貞任を征し、後三年の役(一O八三l一O八九)K頼義の子、義家が清原武ばを討つK及んで・ますます源氏の勢力が東北固に扶植するに至った。後年、源頼朝が平家追討の旗上げによって、伊勢平氏出身の平清盛の権勢K常に不満であrhた。平民直流たる関東武者の平氏一統が挙って源氏の頼朝の傘下に馳せ参じた動機もζとにあったと言える。寿永四年三月(八月より文治と改元)、安徳幼帝を拳じて長門K走った平家一門は、源頼朝幕下である同じ平氏の一族たる闘東武者K抗すべくもなく、もろくも国の浦の藻くずとなって敗タ去hy、源家の手中に天下を握hyられたζとは島肉と云うものであるう。その結果、樹立された鎌倉幕府の武家政治による我が国の封建社会への淵源をなし、足利、桃山時代む戦国崩を経て徳川時代えと移b、三百年K及ぶ江戸徳川政治の発展を見るのである。さて鎌倉幕府による注目すべき制度は守護と地頭の設置である。守地じる守祖頭ち醤謹税と備は謀はを国役、司どをそると掌岳の0 V(どc 土いーら地ゎ名しにばずめ配地った置方置もさ長かのれ官れでてJ とあ専志もそるら云の。土う土地べ地行きの政も人のの民管。を理ドレ辛コ「泣く子と地頭には勝てね」と、後々む里言葉にも残っているようK、相当庶民を悩ませたことであろう。ζれらの役職は、御家人と呼ばれる幕府直轄の家臣K附与され、封建制民の基雌なしたものである。ζの鎌倉時代K行方地方K君臨した常陸自守誕織はドレIRノ常陸大被平景幹で代々ζの地万に一一族が梁栄した。しかし後世に至って佐竹氏の進出によって領王の変迭をたどるのである。第十一節武家政治と農民生活みIRJしゅ主〉、鎌倉時代の農村を大きく別けると、大小の名王と作一円t々から構成されていた。口白弘IPしゅ一-名王はその地方の闘拓者でるD地王階級である。そして作人とは農耕民であって同わば百姓衆である。’uhIJJ申J名引一の上には地頭があり荘官があって、更Kその上κ領王がある。そしてそれらの祖税は幾草Kも加呈され、作人の一肩にのしかかっている。特貨の他に山rEeと労使がある。川町取とはその土地にうるしできる米作以外の産物などの物納で、謀、漆、柿、麻綿、絹、炭、繊布、その品目は雑多で②るが、作ったもの、出来たものすべて杭として召し上げられるシ刀ケになっていた。野健とは労働力む無償提供で、領玉、荘官地頭の