ブックタイトルふるさと潮来 第二輯
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ふるさと潮来 第二輯
をねぎらつた。与えられた者は一代の栄誉として感涙し、家門の誇Dとしてますます徳川家K忠節を励み、晴れの式典にはとの思賜の葵の紋の衣服を着て得々とじよくんして参列したのである。今で言う一種の叙縦である。世は太平K馴れ始めた江戸中期どろよb、次第に家紋の性格も変D、権力者の標示であった紋章も、江戸文化の発達につれて武士階級のほかに一般化する傾向となって、広く農工闘の家々にも家紋が用いられるようKなって、衣服、家具、調度品、或は崖棋の鬼瓦まで家紋を付けるようになった。江戸文化の盛期より、芝居、遊芸などの社会的地位の向上Kつれて、役者紋、太夫紋と呼ばれる尚楳K近い紋所まで付けるようになってきた。Jρり「家犀の崩しはじめや紋所」ζんな川柳が江戸時代の末期にある。ζれは遊説の末、土蔵民をつぶし、BAてはすべての財産を投げうってしまうまで女に入れ上げてしまう男が、女の紋所を自分の衣服につけ始めるととから男の放舗が始まると言う意味である。男が女の紋所を自分の衣服に付けるととは一段い愛情の表現でもある。一身同体の気持を如実に女K示したひょく証拠でもある。そして比翼紋と言って男女の紋章を半分K亘ねた紋をつけるようになると、二人の愛情が完全に結ばれたことを示す紋所である。っこ説試の芸者衆や遊女達は好んで訴の肢を付けた。つるれはツタの聾がからみついて男女が放れないと↑一=口う縁乙起とをのかょっういにだじOもゆOの呪Oで的Oぁろう迷信的な要素が含まれた紋章しかしながら江戸中世期Kは家紋の完成期を迎え、士農工尚は勿論、下肢と言おれた遊芸民に至るまで家紋が普及したので②った。もある。そして家紋は日本文化の一要素でも②夕、封建社会の遺靭とも言える。しかし戦後、家系K対する観念の変化Kよって、家系を軽るんじ、家紋の意ト識が失われ一ハザつつあるこのとろ、日本文化の伝承である「家紋」は3かつて苦々の温先の自覚や、家門の歴史Kつながる遺物を大切にして、改めてのが「家紋」の意一畿を認識し次の世代K対しても伝承さゼることこそ祖先にひくゆる義務ではなかろうか:・・:f「’二三0'フ己、ーJ(筆者・:郷土史研究家・行政善土・上町・栄尤)