ブックタイトルふるさと潮来 第二輯

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概要

ふるさと潮来 第二輯

保沼左エけ(小い水)相附六左エ門(小米)淫谷戊エ門(山沿)凶沢山五エ門(米) 世呼んで佐万九人組と州し山田字川市刀を許され村治は之れ知九人坊の協議に依って執行され名王(庄匝)は九人坊の,拡J胤陀よって雄命によ夕、就任され九人胡κ於て必任者の叫い場合時命によって決する事Kなっていた。庄屋の峨惟。賞、訴訟、金品貨佑、迄一角絶体碓を持って区内を杭半した。五人組制度Uとの制皮は中世出民同から起った、自治的な川度であったが、出足匝芳吉はζれを筆一祭の目的などに判別し、出川になって、兇永十凶年(一六三七)に枯府直帰樹全部K行はせた。各国共これを見百ったので全国的κ納説治安共ω山ω一挙げ札。出川刑された当地区に於ても下部組織として活用せられそc地区内の規約一、九人組は代々曲字帯刀含許され、庄〕席は九人一顕の区内の公事、納説請伎、ぱ郎副、自由の先清2兵政山清兵衛肖像磯山志士内で劃めるζと。二、九人鎖以外の者は如何なる富有者と雌も、長犀門を建築するζとは出来ないo組-蹟の家に在る名字そ崩いては左らない。葬儀の際極げ比四万鳥居号付けてはならぬζと。三、居住する組の人別札恨の調査κは参興し、水戸藩一奉製行所村の検閲宏受ける際は、庄屋組頭役人と共に暑名捺印して提出するとと。凶、毎年七月廿七日に行はれる祭礼(角力)の日には神前広場左右に九人頭の桟敷を設け倹敷は永年使用し拘る杭、予め組立式で、斗l生は九人頭の家で威し一直き、祭礼日Kは九人頭住居組内の者一一同で組立て合終了後は収崩して九人頭の一家に保管する。一以上の規約は明治新政と共に全部煽止された。(筆者は潮来町郷土史研究会員、元大生原小学校長)衛君伝附加波山事変と大阪事件新荘桜涯