ブックタイトルふるさと潮来 第二輯
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ふるさと潮来 第二輯
y橋中納言に呈せん事を乞うた。甚七郎之れを請けて一幕府大目附に伝えるも大目附は之れを許さず、托し伊賀守事絃K至-Dては最早再挙して素志を貰ぬ〈K道娯きと惜夕、勝出小凶郎山国兵部単寸と謀hJ情を似して乞うた。十二月十四日-場府命有D伊賀守以下を敦賀に拘し慶応元年二月十凶日悉〈斬に処せられた伊賀守年六十三才首は水戸K品決され、一妻子五人も亦斬首された斯ぐして絃K天狗幼乱は幼発以来約十ヶ月にて終了した此の叫たる凶よタ水戸濡内の私闘たる観は有るも其の行的は全〈大義名分の下死K至る迄海防の聖旨を一挙行せんとした。尊皇中心の忠誠は遂げいI悩長士の三躍を始めとし各播K波及し遂げ札三-白年に百一るJ徳川凶器府は遂げ札倒れ、大政は一奉還され各種主も亦版措を奉還して王政復古の鴻業全く成夕、天皇親政の下明治相公明の光hyは普ねく八紘に光依する陀至った。明治五年天呈花越巡幸K際し特使を敦賀κ差遣され、耕一室背に対し正凶位を追賜し仙の志士には祭杷料を下賜され、其の忠死を一品賞され英霊は招魂社に合杷された事は死して隙栄有Dと云う可し。総べて是れ大義名分の効す処而して此の大義の因子は水戸光国が大日本史氏随い凶代の一雄主K依hJて端J賀され遂に国家の精率と為Dて王政を復古し実を結んで明治維新と成ったと思は以上是れは水戸雄だけの城で有るので領内何れれる。の町村にも是の以械に参加した正義の志士又は単夫軍属として徴用され、不適の死を遂げられた人も幾多有るを思い絃κ其の願末を録し是等の人人の忠死KP報いせんとする。延方村殉難烈士三人凶沢孫作彰善三十八才武田耕雲斉の義挙に参加し那珂港の川引にて負傷民家κ逃がれ加療中捕はれ、赤出のリ獄舎K於て暫自、明治二十二年茨城県知事安出定則通達有D靖国神社に合杷さるω沢田-比之介延方聖堂郷校教授沢田東傾先生の孫十六才此の劫乱に参加各地に転域終る所不明。僧麟光普門院住職三十六才此の義挙に参加し生死同じく不明徴用された車夫九人池田倉之切年令不明大久保幸重郎三十二才鈴木伝凹郎五十五才西山勇之介三十九才柏崎熊次郎三十九才長調-68-吉川初太郎二十一才篠塚源一郎十八才荒原市衛門二十凶才山沢一啓介三十二才死亡者川県し以上明治十一年戸採謀参考書夜城県史水戸父学仕発行水戸城上下二番汐来町水戸一極双葉草紙筆記本凶戸覧誠著話者不明