ブックタイトルふるさと潮来 第二輯

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概要

ふるさと潮来 第二輯

向との問に住民の戸口を明らかKするため、(壬申戸籍)従来のが作成さ宗門人別帳Kかわる新しい戸籍れたととは、村政上重要在意義をもち、戸籍の基礎と在っているが、との時の戸数は潮来洲を含む)が一一三四戸、津知が五四四戸、大生原が五O九戸、延方が九七五戸で計=二六二戸となっている。ζ れが現在のしかしとれも同一二八七八) の七月に、一年太政官布告をもって郡区町村編成法が公布されK至って、再び地方制度の大改革が行左われた。設けられた大区小区制を廃止して、村を置くζ とが明記され、との布告は先K府県の下K都区町町村の区域、名称は、すべとれによって町村は再び地従来の大区小区に代って郡が町そして各町村Kは戸長一名をな〈て旧Kよるとととされた。方行政の単位と左り、村の上になかれた。同年二一月K戸長選挙法が布達戸長は従来の官選制から公選制K改められた。また小規模町村については、戸長は政町村を通じて一名をなくととKなったが、当時数町村K 一人の戸長をないた村は連合村と呼ばれた。そして一連合Kは戸長一名のほか、書記数人をないて事携をとり、各村には人民総代をないて戸長の布告伝達Kあたらせた。その後明治二二年八八O)ζ とを原則としたが、されて、K至り、区町村会法(大が公布され、えられて、区町村会には議決機閣としての権限が与各町村の自治活動が行われるように在った。しかしとれは同一七年(一八八四) 陀念って、戸長選挙法を廃止して再び県令の任命する官選戸長制となっ先連合の町村郡更区。編る成法いによってK、茨城県の大半がた(連)合と村な形り態、っを一戸の人果長が種行々政を不な便ってもきあた結戸、に月域年及六び長役た場ので所管区同位置一部するKなった。との改正結果を。る潮来地方について表示すると次の横な矢延l幡 方 来潮 |地築 防地在役戸場村村村村一釜谷村茂木町根小屋水;青1矢l代幡延潮来竹村原地築内所方村轄大生本t石神内副之大辻村町竹大村賀内内村相十| ヰす水名ブし数町村王王ノ~』、ブL L£Y 戸フ『iZB t7『t iZB を矢~」一A 、孟L、」人Cコt 寸コ/"\_ 寸コ 口一一二〉ゴL ヨ王土土税有地ヨ王フ‘て一二三ζコ、一句、A 、プし/"\_Cコ JI反対/"\_ /"\_ 三三ゴ王-2一(茨城県市町村合併史Kよる)しかしながら当時の日本の急放な産業文化の発展と人口の増加は、闘係法令の一部改正のみでは地方行政制度の機能を十分K果すととは不可能であった。政府