ブックタイトルふるさと潮来 第三輯
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ふるさと潮来 第三輯
七丁目作太郎外八十五人林七之亜外五十四人窪谷八丁目その当時村務を掌った人々の氏名を挙ぐれば左の通bである。区戸長覚蔵副区長彦之亜副戸長海老沢吉之允二重谷世話人磯山二七郎人民惣代氏名は左之通りである。西一町目西山藤兵衛、矢島平兵衛、塚本平兵衛、橋本利七石橋重兵衛、長谷川啓助、山口弥七、沼田啓兵衛向後平兵衛、大川平治郎、大久保儀助、若横忠平、畑中松兵衛内山治郎左ヱ門、榊原吉右衛門、橋本京上一町目下一町目二町目三町目四町目五町目関戸副区長宮本山三郎副戸長磯山清兵衛布川定兵衛藤岡同助小林幸助、大崎良助、松崎庄助磯山啓七、塚本長三郎、宍倉宇兵衛、山本長吉、松田嘉兵衛宍倉権兵衛、川又彦兵衛、塚本新三郎谷田川喜兵衛、大森儀七酒井治助、根本太重、宮本庄三郎、久保吾助、沼里平兵衛飯田太兵衛、大塚四郎衛門、小林総吉地主総代の氏名は左の通bである。上壱町目大川保兵衛、下壱町田久保木大吉弐町目滝ク崎新四郎、四町目園部源助、須田孫吉七町目大塚良助、八町目草野嘉助旧来の村捉は此時破棄せられ、当路の役人も八人頭時代の専制K出づる勢力左〈、一方新規分家を取立つるもの年々増加し、限bなき要求κ応じかねる現況を呈した。人口増加の状況も記録によれば、文政元年田取人員三百六十七人天保弐年同四百十九人弘化三年同四百三十六人嘉永六年同四百八十五人安政元年同五百二十八人万延元年同五百七十弐人元治元年同五百九十八人慶応三年同明治三年同明治拾年同明治十九年六町目七町目八町目-21ー同六百弐人六百三十一人七百十四人七百四十三人