ブックタイトルふるさと潮来 第三輯
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ふるさと潮来 第三輯
須田幹三玉造雪洲書註。足穂氏は明治初年、磁山清兵衛、大崎新六、藤岡彦之通、篠塚亀次郎、石田潤之助、長左一郎の諸氏と徳島開拓(徳島開拓地割図). /;,0)歴史潮来の米倉「徳島」も隣接する鹿島工業地帯の影響で、宅の姿を大きく変えようとしている。この地域の開拓の歴史はそれ程古くは左いが、地元K残された史料左ども度々の水害で散逸し、歴史を語り伝えてきた古老の多くも他界して共κ、鹿行二郡の有志を以って、分齢弘山んかを結成し、酔齢ゐ栴を主唱した志士である。昭和四十一年十月二十一日潮来町文化財保護委員会新桜荘涯植敏雄田次第に不明と左ってきた。ζ の様左理由から「ふるさと潮来第三輯」κ、郷土の主左開拓の歴史を収録するととに左り、故額新翁の残された「徳島創立開基録」(延方篠塚源蔵氏所蔵)と、額賀家K残された若干の史料をもとに、その概要を記して公〈。江戸時代の初期、潮来の周辺には、長期間κわたる流水の運んできた土砂が堆積して、洲状の芦浦の原野が処々κ形成されていた。現在の水郷十六島も、大洲もみ左それらの砂洲が、長期間の年月をかけて開拓されてきた集落である。その頃、延方の南の浪逆浦の中Kも、同じよう左広い洲原が形成されていた。西は既に開発途上にあった大洲κ近〈、東は鰐川ぬ流水に囲緯された地域である。周辺は好漁場で、早くから行方、鹿島の村々から農漁-35-