ブックタイトルふるさと潮来 第三輯
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ふるさと潮来 第三輯
基相初ム。尤モ下男下女二十五人ア召抱へ百姓トナルロ然ルトコロ文録、慶長ノ頃近郷ヨリモ入百姓有之家数七軒トナル、依テ七軒島ト唱ル。夫ヨリ追々家員増加致シ、寛永年中御改メノ節ハ家数二十九軒トナル。下総ヨリ持参ノ品備州長船住長光二尺七寸鎗(正宗)一筋一尺六寸(鎗ハ後分家仁右衛門持参)濃茶之茶椀壱ツ甲兜壱具右長光、鎗(正宗) 擢災ス。但陣万搭付帯付甲兜三品文政元成寅年三月九日七之允法名(後仁右衛門ト改ム)道簡開雲居士文録二美己年九月二十九日卒室関戸左京亮女法名遊簡紫雲大姉慶長七壬寅年七月二十七日卒」以上のとなb、大洲島の開発は村田七之允によって初められたのであb、大洲村田氏(後仁右衛門トナル)の開基である。天正十七己丑年三月七日国分下野守頼忠矢作城主)のよめる歌との島の左bつる頃や鹿島左る松のみとbを具κ植けん(同族下総国「正保二乙酉年九月村田市兵衛定時目)初メテ大洲新田ノ庄屋役仰付ラル。常陸国行方郡板久郷大洲新田高弐百壱石壱斗五升六合田百九拾弐石三斗二升畑八石八斗三升六合(大洲村田氏三代田、畑、屋敷一ツ五ト米ニ而可納一ツ五ト金壱両ニ米二石五升代金ニ市可納-4シー庄屋市兵衛右新田之儀ハ、天正年中下総国香取郡村田村ト申処ヨリ、当庄屋祖父仁右衛門ト申者主従三人-一雨罷越シ、致居住開初近郷ヨリモ入百姓有之家数七軒之処追々石高家員人別相違シ候段奇特之至リ、依之永長諸人馬同免許ノモノ也。正保二乙酉年九月一野半左衛門印