ブックタイトルふるさと潮来 第三輯

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概要

ふるさと潮来 第三輯

大洲島開発の概略と村田氏の来歴の一端を書いて見たが、資料が足り左いばかbでも仏く、私の力が及ば左くまζ とkb粗末左もので、恥ずかしい限りである。私は大洲κ生れ大洲に育ったとは云ひ、それは十五、六歳定のζ とであり、大洲K関する云伝えや古老から故事を聞〈年令κ至ってい左かった。えだ幼年の頃祖母から寝物語に聞かされた「大洲K下戸念し無筆左し」というζ とと「菅戸数が七軒しか左かったので七軒島と云った」ζ ととζ の二つだけは覚えている。故郷を出てから五十時五年経っているので、それからのことは何も知ら左いD幼年の噴の想い出としては、大洲の川水が奇麗だったζ とだ。浪逆浦の水は奇麗κ澄んでいて水底κ何があるか分る程の透明度だった。この奇麗左透明左水が江聞や水路に流れていたので、この水を飲料水κしたb炊事用κ使ったりしたものであった。勿論魚も沢山hub自宅の井戸端で釣を楽しむζ ともできた。然し反面村以外はどこへ行くにも舟に頼らたければ左ら左かったのだから交通上は不便であったが、その後橋が二カ所もかけられ、近年は江間や水路が埋立てられ立派な補装道路が出来上b、自動車が各自の庭先まで乗b入れられるように左b、また農作物の運搬は耕うん機や貨物自動阜を使用するので、舟は全く無用と左った。二十数年前浪逆浦が干拓されて農地と変り、また水も汚れて飲用K適さ左〈左ったので、今では町営の水道を利用しているよう左状態である。の感あbである。筆を摘くに当り、い次第である。正に今昔大洲島の生成発展を祈念してやま左二六記)nUEJ (昭和四七、筆者麻生町下測在住前麻生郵便局長(大洲出身)