ブックタイトルふるさと潮来 第三輯
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ふるさと潮来 第三輯
栄念久末より盤舟之申っかb来b夫れより常輪番を御頼りに在、り潮来K来る、本多姓の元因左り明治十二年十一月末寺編入願ひを左り明十三年二月一日願入叶い当代まで十五代を数う。浄土真宗大谷派梅竜山西円寺住職一て西円寺元雄五年六月二十日茨城県常陸国行方郡潮来村百十九番地κ同県同国東茨城郡磁浜村願入寺掛所西円寺を創立開山を親縛上人法孫如信上人の弟子潤信と云う。初代を栄念と云い出生は上方上原の道筋と申伝はるのみ。本真田三、浄国寺潮来町五丁目にあb、大永山稲善寺と号し浄土宗である口稲敷郡江戸崎大念寺の末寺で文雄元年二五九一一)石田丹後の開基、結城弘経寺の資順蓮社誉徳翁を開山とす。第三世円蓮社鏡誉春達の時、加藍諸堂周備し、寂常院、称名院の寺坊があって、春達を中興の開山と称している。第四世然蓮社天輿願入西青山の時に党鐘等が出来、法燈益々隆昌となる。青山通心堅固で帰仰する人々多く、其の行状は続日本高僧伝にも記載されている。寺院は昭和二十二年の潮来町の大火に類焼の厄K会っている。境内Kは石田丹後、節靖窪谷妙真の歌碑と又道をへだてL宮本茶村(水雲)の墓碑が飯玄氏)-59ー墓がある。ある。(現職田泰