ブックタイトルふるさと潮来 第三輯
- ページ
- 70/104
このページは ふるさと潮来 第三輯 の電子ブックに掲載されている70ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは ふるさと潮来 第三輯 の電子ブックに掲載されている70ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
ふるさと潮来 第三輯
彫刻し、一万三礼の尊像を普門院に安置したもので、堂宇は天和三年八月起工して翌年二月竣工したもの、忍性菩薩は慶長年間の人、船越地蔵尊とも云い、由来縁起によれば丈余の顕魚に里人の渡航困難であったのを六道能化地蔵尊を刻してその仏力によって渡舟の愛を断行、五穀豊鏡と在った。里人は忍性菩薩戸初Je’rk'"' tの徳をたhえて今日迄の霊験の数々が挙げられている。(現住職渡辺啓雅氏)妙光寺本国山妙光寺は大字築地にあって日蓮宗K属し、宗祖白蓮上人の直弟中老僧の第一人者一乗七阿崩梨日門上によって(文永二乙年正月朔日)閉山したもので、初め隣郷水原村に由井但馬守国光、横山遠江守勝元走る二士あDて、此の二土鎌倉参勤の際日蓮宗K帰依し、日蓮上人を招じて一宇を創建したもので、本国山妙光寺法華堂と称した。文安二年正月、三世日正上人が現地K 移転したもので、其の旧寺跡は水原の法華堂である。永仁元年七月七日、十六世日蓮上人の時、水戸光園公は代官矢野九郎右衛門、郡奉行萩原庄右衛門,芹沢伊賀守、三木五兵衛等の力によって官の費用Kよって堂宇を造営レ、立され、義公より客殿を建其の後、日孝上人の時粛公よhy祈願料として玄米五十俵が下附せられた。現在の本堂は、寛永年間の再建にして、寺宝Kは宗祖日蓮の十界勧請の大蔓茶羅、消息の軸、光園拝領の法衣箱、現箱等の水戸家ゆかりの数々がある。(現住職遠智隆氏)のち日具上人の折、-62-山筆者「ふるさと潮来」編集委員長