ブックタイトルふるさと潮来 第三輯
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ふるさと潮来 第三輯
の銘菓であったのである。仙台の駅より歩いて十二、らしき構えの店、路地裏陀老舗三分の所、しかも古めかしき看板κ、と掲げであったと云うロ彼は夢中で其の老舗に飛びζんだ。そして潮来へのよき土産が出来たと喜んでζの店の主人κもいろいろと潮来の訴をして来たそう「こうれんLーだ。「こうれの名が、やはり仙台Kは存在してゐた事を人事では左〈私は非常に嬉しく思えて走ら左かった。潮来Kは消えて没〈在ってしまった懐しいんL「みちのくの銘菓こうれん」の中に由来を記す棄が入っていた。私は思はず手にとって読んで見た。折箱κはとあった。そ「仙台ζうれんの由来」(虹蓮尼伝記抜奉)で紅蓮尼は今を距る六百余年前、嘉歴年間出わのくにきさがた羽国象潟の,商人の子K生る。紅蓮の父、西国三十三所の観世音を巡拝せんと旅立ちたむつのくにか’もんるが、道中陸奥国松島の掃部と云へる者と武一と手り、討がとなりて、共に巡拝を果して其の用制旬、白河の関所κて、互に別れを惜しんだ。そして両者は此の交誼を永〈めあわ結びつけんと思ひ両人の子等を妻せん事を約束して別れたり口掃部大いκ悦びて帰宅すれば其子小太郎急病κて既に此の世を去bしといふ。均る不幸を知る由もも仏〈幾程はるばる左くして象潟より娘紅蓮を嫁すべく遅々連れて参りける-:。掃部大いに驚き、交通不便のため速かκ此の由を知らせざりし吾が手落を深〈詫びて、果敢なき縁と諦めくだされ、疾く帰bて好き左夫を持たれよと娘紅蓮κ如何K勧むれど‘聴かず「親々の許せし仲は対面こそせざれ妹背ととそ思いはベみたまっか・お4FK必弓メあ侍れ、今よりは亡き霊κ事へ男姑に孝養をとて遂κ其のま』掃部の家K止まめまめ其の実々しく仕へし事他K類左尽すべし」まりたb。かりしと云ふ。歳を経て掃部夫婦もζの世を去bせば里中の老輩が容姿稀れ左る娘紅蓮の姿色K迷い気ノ広Vて挑み寄るを煩さしとて。世の無情を嘆きかぎり円福寺の明極禅師の弟子と左b飾をhgろして名を改めて心月庵「虹蓮」と称えて庵を建て、先の亡夫小太郎幼き時κ、植え置きひたすらし軒端の梅を亡き夫の形見と賞でつL一向すま法の行ひ済して此の世を終えたりと云う「さけかし念今は主と左がむべし軒端の梅と尼の詠みし当時の梅ののあらん限りは」.c. 64-。