ブックタイトルふるさと潮来 第三輯

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概要

ふるさと潮来 第三輯

「そして本間家と親交のあった某家(特κ名を秘寸)κは芭蕉翁の木像が保管されている筈であ夕、句碑建。立の当胃、四丁目より出土した本間家の家紋入りのふ00 くべと、芭蕉翁の木像を供え、除幕式を興行したもの000で、今でもζのふくべと芭蕉翁の木像は、記憶している。はっきりと。。。ζの家紋入bのふくべは、故石田邦鎮氏が保管していたが、惜くも戦後潮来の大火κよって焼失されてしまったことは誠K残念である・・・・・・0(ほうちん)本間道悦は老境κ至って眼病を患い失明したが、来武士出身の豪毅さκ、脚の不自由と、失明κよる二重障害をも克服し、失明しても書物を暗記して子弟の教育を続け、多くの有為左る人材を出した口文化、文政のころκは宮本茶村先生、沢田平格先生を始め、幾多の逸材を輩出している潮来であるが、そのころの文化文政の年間より百七十年前の延宝年聞のころの潮来村は正に揺藍期にあって、本間道悦の「自乙そ、潮来町庶民教育の発祥の地といわねば左準亭」ら左い。道悦は武士より医師κ、そして俳人とし、者として潮来村民のためκ半生を捧げ、元椋十年多彩左生涯をζの潮来のまた教育(一六九七年)七月五日、「自準亭」khuいて閉じたのである。奇しくも芭蕉が大阪で客死してよりわずか三年後、朋友芭蕉の死を追うように相前後して七十九才をもってζの世を去った。I__-71-生