ブックタイトルふるさと潮来 第三輯

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概要

ふるさと潮来 第三輯

講ぜられ、とくK給与される基本金が民間の献金による感思講を払って左されたととが知られているが、いずれも万全では左かった。また会津藩では間引により女子がとくに減少したため、越後では間引が行左われ左いというので、同国の分領から女子を強制的K移住さぜて領内の男子と結婚させた事実もあるといわれる。一般に間引は、子供が生れると取上婆(とりあげばば) が育てるかどうかを尋ねたあげく処理するが、近隣でも産家で育てるのか殺すのかはっきりするまでは出産祝いに行かなかったといわれる。ζ の風習は明治以後Kないでもなか左か根絶でき左かった。政府は明治初年諭告を出して、三子以上の家には苗木を与えて植林させ、六子以上をあげた家には米一俵を与え、乳料として生児三才κ至るまで養育料と米若干を出して悪風の矯正に努めたといわれる。昭和生れの私が亡き祖母から聞いた話であるが、明治初年のζ と、私の先代がたまたまある家で子供が生れたところに行きあわせたので、殺さずに育てるよう助言した。やがてその子が長じてζ の事を知り、私の先代の死後、命の恩人としてその墓に花立て(竹製の筒)を毎年新調して立て換えてくれたことや、婿養子曾祖父は七人兄弟の一人であったので、親は顕賞されたり、前記の扶助料をもらったこと、また当地方では出産に際して取上婆が「日帰hJKする」間引かどうか尋ねるのが普通であったとと左ど。現在左ら当然殺人罪に該当するとの種の行為が当地方でもか左り続いていたζ とを窺い知る証左となるよう陀思われる。参考文献本圧栄次郎「近世封建社会の研究」改造文庫平凡社「人口大事典」関山直太郎「近世日本の人口構造」吉川弘文館土屋喬雄「近世日本封建社会の史的研究」(昭和二四年)土屋喬雄・小野道雄共著「近世日本農村経済史論」改造社東条操「分類方言辞典」東京堂高橋党仙「日本人口史之研究」二「溺女」Kついて中国の歴史Kは「宜官」とか「樋足」左ど特異念ものが登場してくるが、特異な点では「溺女」もその一つであろう。中国Kも古くから生児殺害(溺嬰)の風習があり、水を入れた水盆念どに顔をつけて溺殺するのが一般的で、女児を殺す場合が多〈、ζ れを「溺女」といい、男児の場合を瀦児といった。溺女の盛んに行左われた地方は、唱。虐・江西・河南の三省で、中でも有名左のは福建省’官35m良EEE)であり、三才以下の子供は葬らずに捨てられ、犬の食うまLK放置されるため、郊外の池沼の畔には「溺女を禁ず」という石碑さえも建てられていたという。中国でもわが国の間引と同様、-81ー田の草を按〈意の