ブックタイトルふるさと潮来 第四輯

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概要

ふるさと潮来 第四輯

浅瀬や潟のような自然が与えて〈れた有利な低地の地勢条件であったのではなかろうか。次K石器について考えてみたい。西関東方面の遺跡と比較してすくないことが、一体K認められ、本貝塚もその例Kもれず、打製石斧一個という出土状況であった。対岸の千葉県小見川町城之台の早期員塚でも、吉田格氏の発掘地点K・沿いては、半磨製石斧、たたき石、磨石一個が発見され、岡県佐原市鴇崎の撚糸文系土器包含の貝塚K拾いても、打製石斧二個と石錘となもわれるもの一個が出土したにすぎない。ととろが、神崎町西之城貝塚Kないて、撚糸文土器包含の貝層からの石器の出土は極めてすくないが、石器類の出土量が貝層を覆った黒色土層Kは、田戸下層式を主体とした早期の土器が多く包含されている。との層からは、そうした土器とともに焼けた擦が多く出土するが、それと混って片面加工の打製石斧をはじめ他の各種石器が周辺の員塚では見られ念い量で多〈出土している。た西之城から南へ約二キロメートルのととろの神崎町名木、前原の茅山式系土器の包含地でも擦が多〈散乱し、打製石斧が混って発見されている。とうしてみると、早期から本地域Kは、貝塚だけが形成されたのではな〈、他K貝塚を伴わない包含地も形成された。そして貝塚と包含地とでは、土器型式は同じであっても、石器などの遺物の出土量が異なっている。狭間貝塚を中心とした地域Kも、貝塚をともなわない同期の遺物包含地の在るととが想像される。そして遺物の量的左内容を異Kした貝塚と包含地は、相互K役割を異Kしでも機能的に関連していたKちがいない。新潟県青海町寺池の中期から晩期にかけての土器を包含する遺跡からは、多〈の硬玉原石をはじめその製品が出土し、硬玉生産遺跡と称されているが、他の同期遺跡ではみられない特異な遺跡の一つであろう。早期に遡つてのととはな扮問題も多いとしても、最近遺跡の分布が一段とあきらかにされつつある折から、今後遺跡の内容を究明することが必要であろう。同期の内容的に相違を示す遺跡の在り方は、遺跡聞の相互作用を類推させ、強いては地域の共同体の組織的活動や構造究明の手掛りと’aなるであろう。ま土器は前述の知〈意匠文が施されたものの型式分類にしたがうと、南関東早期の条痕文系土器として包括され、細かくは野島式と鵜ガ島台式土器K比定するととができる。そして両型式の土器が、員層の構成とともK層位関係をもって、トレンチの北から南へと変転していったととが看取され、やがて茅山下層式へ移行する徴候もそうした変動のなかKうかがわれた。しかし意匠文のある土器とともに、擦痕文と条痕文の土器