ブックタイトルふるさと潮来 第四輯

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概要

ふるさと潮来 第四輯

との聞に社殿の再建か、木材の耐久年限からみでは一六六年の期間となり、大修理が行左われたとしても、て不自然では念かろう。以上のよう左諸事象から考えて、私は次のよう左推論をもって、大生神社の墨書調査の結びとしたい。bu危’aa疋一、大生神社は棟札に書かれているように、天正十八年(一五九O)K造営されたであろうが、現在の社殿の建築部材、及び墨書からは天正期までさかのぼれるものは極めて少左い。一一、現在の建造物は江戸初期の元和期、もしくは寛永期K建立されたものと推定される。但しとの時期に天正期む建築部材の一部が再使用されたとも考えられる。三、明確な年代の記載がある宝暦六年ご七五六) は、解体修理、或はそれκ近い大修理が行なわれ、体のために多くの墨書が記入され、替えられたと考えられる。四、(六年)また部材も多く取明治初期にも大修理が行なわれてなhJ、現在の社殿にみられる比較的新しい部材、や勾欄の一部などは、ζの時期に補修されたものであろう。例えば階段江戸初期に建築されたであろう現社殿は、宝暦期と明治初期K大規模念修理がなされたζとは明らかである。しかし乙の聞に小規模左部介修理が数回行左われたとも想像される。特Kかや屋根の葺替は、ζの神社のようK大木K固まれている場合K、二O年前後K一度は必要であったろうし、ζの屋根葺替の折K部分修理が加えられたと推定される。との神社に墨書の種類の多いζとは、修理回数の多いζとを物語る例証と五-26もいえよう。Vζ以上は建築む分野K全く無関係な一個人の推論K過ぎず、どれ程当を得たものか自分でも疑問である。今後色々な立場から多くの方々のど意見、解ど指導などいただければ幸いである。最後に、ζの調査に際しては、大川文氏をはじめ、大生神社修理奉讃会の皆様に何かと御教示、御尽力をいただいた。末筆念がら記して謝意を表する次第である。筆者潮校教諭ふるさと潮来編集委員来-局