ブックタイトルふるさと潮来 第四輯
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ふるさと潮来 第四輯
医術ノ学理ニ拠リ実地ヲ考へ精巧鍛密ナルニ如カズト乃テ洋法ア研究セント欲シ明治七年下総佐倉ニ遊ピ佐藤舜海ノ医門ニ入ル時ニ君年二十一ナリ爾来刻苦精励怠タ一フ--ズ尽一ハ調剤ノ事ニ従ヒ夜ハ専ラ読書ト筆硯ニ従フ師亦ア春愛シ薫陶至-フザルナシ忽ニシテ学業鋭進衆弟ノ上一一出デ代診ノ事ヲ掌ルニ至ル是-一於テ益実地応用ノ道ア講ジ大ニ得ル所アリ明治十五年十月農商務省ニ奉職シ全十八年六月宮内省ニ奉職ス君格動精励能ク其職ア尽シ其功労少ナカラズ明治十九年六月思フ所アリ其職ア辞シ千葉県下ニ開業シ民間済生ノ事ニ従フ全二十二年十二月郷里ニ帰リ業ア其家ニ開ク先是明治十一年中君ノ佐倉順天堂ニアルヤ米人某負傷シ院長舜海之フ治療ス当時君助手トナリ専ラ力ア尽セリ後全治スルニ及デ負傷者ノ友人四十儀名メ米人ヨリ金時計一ケヲ文負傷者ヨリ若干金ア寄贈セラル益シ君ノ栄誉ト云フベシ君天資温良ニシテ篤実多年慣手ノ伎儒ア以テ其業ニ従フ殊ニ長ズル所ノモノハ内科術ニアリ是ア以テ起死回生ノ福フ受ルモノ頗ル多ク治ア乞フモノ太多シ君年不惑フ過グル僅ニニ己ニ此ノ如シ亦郡内ノ家ト云フベシ名高塚春費君墨伝(行方郡潮来町) 君ハ文政七年ア以テ行方郡潮来町ニ生ル幼名小次郎後春膏ト改ム年甫メテ十三宮本茶村ニ就キ漢学ア講ジ傍ラ額賀玄春ニ従テ医学ア修ム嘉永四年ノ春感ズル所アリ笈ア負テ京坂地方ニ遊ピ原佐一郎及竹中秀四郎ノ国手ニ費ア執リ刻苦勉励大ニ得ル所アリ帰郷開業ス爾後故アリ下総海上郡高田村ニ転ズ明治二年帰郷シテ以テ今日ニ至ル明治十六年中虎列刺病流行ニ際シ検疫委員ヲ拝命ス後尽力ノ賞トシテ金三円ア下賜セラル而シテ君ノ郷里-一アルヤ能ク其職ア尽スノミナラズ常ニ学事ニ熱心γ曾テ学校世話役ア奉ズルコト殆ント九年学事ニ斡旋尽力セシ事少ナカ一フズ為メニ其筋ノ賞与フ受クルコト数回是ア以テ村民モ亦君ニ望ア属スルモノ多ク現ニ町会議員及ピ学務委員ア嘱セラル君今ヤ齢七十二達スト謂墾錬トシテ敢テ壮年ノ日ニ異ナラズ業鉱公共ノ為ニ尽力スルア以テ快楽トナスモノノ知シ実ニ君ガ如キハ地方稀観ノ人士ト云フベシ-38一晴れて行く跡は柳の煙か左きさらぎや薄衣するのもだての中