ブックタイトルふるさと潮来 第四輯

ページ
55/126

このページは ふるさと潮来 第四輯 の電子ブックに掲載されている55ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

ふるさと潮来 第四輯

人物誌(郷土考より按奉) (延方編)立野司幕末勤王殉難烈土明治十一年戸長調関沢孫作彰善三八才、池田倉之介(吉川初太郎事)二一才、大久保幸重郎三二才、鈴木伝四郎五五才.荒原市衛門三八才、相崎熊次郎二四才.一六才、西山勇之介三九才、沢田鹿之介普門院住職僧麟孝三二才山沢啓介関沢孫作延方村素封家K生る。通称は孫作彰善と呼ぶ。幼Kして和漢の学K通じ叉剣道Kも秀でた達人である。勤王先覚者として大義を唱へ、水戸藩武田耕雲膏伊賀守の知遇を受〈。元治元年甲子勤王党棲夷の挙K勇躍参加して東茨城小川館詰めとなり館主代理として軍兵募集係を命ぜられ只管ら倒幕の劃策K東奔西走した。遂K幕兵の知る処となり那珂湊其他各地に幕軍と応戦したるも衆寡敵せず遂に敗れ傷を負い民家K逃れたが疲養中捕はれ銚子松平右京亮預けとなり次K川越の獄舎K投ぜられ幾ばくもな〈叉佃島K流寓さる。慶応二年丙寅三月水戸赤松獄舎に移さる。此の間二年有余屡々幕府K転向を強求さるるも頑として初志練へきず同年八月五日遂に水戸藩Kより斬首された。年三十八才僧麟孝水戸の産普門院五十三世の住職である。専ら釈典K通じ汎く衆生済度の道を講じ其徳は三界十方K行渡った3たまたま壇家中に斯の如き悪業のあるものは之れ主として僧家の罪なりとし早速繍衣を身にまとひ吹雪の中を冒して榊原民を訪ね自ら其の罪を謝し哀訴して免を乞うた。日榊原氏も深〈師の檀家愛に感じて之を許し共に帰らしめた後師は某に対し説くに機悔の偶を以てし之れを戒め得度させた。師は後還俗して水戸天狗党の義挙K加はり武田耕雲賓と共に越前敦賀K殉難した。-47ー石田寅松曲松の入、孝子石田寅松、資性至孝父吉衛門K事へて最も良く孝行を尽した。人呼んで孝行寅と言った。時の県知事安田定則之れを聞き大いに感じ賞状並びK金弐円を贈り之れを貰表した。賞状一金弐円也、行方郡延方村農吉衛門長男石田寅松、其方儀四才にして母を失い父吉衛門と居る。明治五年五月以来吉衛門病K擢り傍K臥すυ 其方看護扶助能〈其