ブックタイトルふるさと潮来 第四輯

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概要

ふるさと潮来 第四輯

丸玉、銀環、小玉、骨製管玉、琴玉、金環、銅環、遺骸の足部左側石棺の西壁にそって、八口の直万と、外に万子、銀製刀装具、鉄鉱等、第二人骨K混って、碧玉、管玉、水日開小玉、硝子小玉、万子一口が検出され、又棺外北側からも、硝子小玉、切小玉、須恵器破片、鉄鎮の断片等検出され、文表土中からも、少数の須恵器、切小玉等が検出された。埴輪は、形造埴輪で、後円部の南側より半周してあり、其下段に、朝顔型円筒埴輪であり、又更に人造埴輪と、埴輪馬とが、一米乃至一米五Oの間隔で置かれて居た。礎石は二箇所にあり、一つの標床は造出の中央にあb、礎石は一つ並べK敷かれ、埋蔵物は、土師類、須恵器、円筒埴輪の破片が発見され、文一つの諜床は、半岩質の板石で作られ、内部より、刀子片金銅製小金具、盃数点が出土し、ζ れ等の出土点は、潮来町教育委員会が保管して居る。以上子子舞塚発掘状況を記したが、此の外にも大生神社を中心として、前方後円墳、円墳、方墳等種々の型の古墳が百基以上も群を左し、古墳数の多き事は県内にても稀とされ、今回茨城県が鹿島工業地帯の後背地として、叉国指定の風土記ク丘公園建設の予定地として、数回に百一る調査の結果、県の意見も実施の気運K向ひ、計画樹立の暁κは、風土記ク丘公園として、費が投入され、完成の暁には奥水郷む観光K、錦上更K花を添え、脚光を浴ることと思われる。又一言古墳cζ とを書き添えますと、大生古墳群の如く、同一地域に、百基以上の古墳が建設されて居る例は、全国でも極めて稀で、因より古墳建造Kは多大の物資と労力を必要とするもの故に、極めて特殊、豊富左物産か、若しくは恵まれた豊か左地区にのみ建造され、其一例として大阪堺市附近にある、陶器千塚古墳は、六世紀の末に陶器の生産が盛んになり、巨額の富を得たため、戸内海の小島で、製品を他へ販売して百基以上の古墳を建造し、叉瀬師楽土器と云ふ薄い粗末左陶器で塩ζ れを他国に売って富を作り、-80一此地でも多くを作hy、の古墳を築造した。其他各地で多くの古漬の作られて居る処は、機業若しくは特殊の産業に恵まれた地方である。大生古墳を中心とする地域は、土地が肥沃で水利の使に恵まれ、農耕κは最適の土地で、加ふるκ淡水魚の豊庫北浦を控え、衣食住何等事欠くとと左き天恵白地で、住めるもり皆多大白富を作hy偉大なる古墳を作り数K於ても百数十基と云ふ、茨城県内第一番の多数古墳と史蹟を遺産として私達に遣されたもりであります。巨横山貝塚と其の周辺潮来町簡易保険保養センターよD奥の散歩道を左折、一粁位Kして、奥水郷台地の小部落に着く。此の部落