ブックタイトルふるさと潮来 第五輯

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概要

ふるさと潮来 第五輯

おわしけるというを聞きて、尋ね入りて臥しぬH鹿島記行による芭蕉の文章である。昼ごろより雨が本降りとなり、乙の分では今日の十五夜の月見は出来そうもないが、先ず鹿島山の麓にある根本寺へ行ったと乙ろが、若い住職が居て、前の和尚さんは今は俗世をのがれて穏居の身となって、今は乙う言う所に住んで居られると聞いて尋ねて行って宿をしたと言うのである。仏頂和尚の自伝「山庵記」にも、貞事元年まで鹿島の根本寺の住職だったが、貞事元年に故郷の大儀庵に移り、廃寺であった大儀庵の本堂、庫裡、山門を修復して、貞享四年十二月まで大儀寺に居た乙とが立証されている。芭蕉一行の鹿島到着は貞事四年の八月十五日の午後二時ごろで、大船津より再び若い住職の案内により船で阿玉の河岸に着いたのが午后三時すぎでなかろうか:。仏頂和尚は芭蕉一行が月見に来る乙とは既に知らされていたろうし、首を長くして一行の到着を待ちわびていた乙とであろう。やがて濡れ合羽の一行を迎えた仏頂和尚はいつもの仏頂面を崩して、「ょう乙そ見えられた、拶はあと廻しじゃ、お待ち申していましたぞ。」さあさ濡れものをお着替下されい」して先ず風巴でお温めなさるが、を迎えた。一番じゃあ:::・:」と一行ー寸一寸そ挨秋とは言え、肌寒い夕暮の乙ととて和尚は家内の者に命じて万端用意の上、一行を迎えたのである。日短かな秋の夕暮はとっぷりと昏れ、北浦湖は雨需につ〉まれて、竹林に覆はれた大儀寺は正民俗世を隔てた、たたずまいである。ただ雨音だけが竹林の笹の葉を打つ響が、芭蕉一行の胸中を痛めていた。今日の十五夜の月を、そして待望の水郷の満月を夢に描いてはるばる江戸より夜船に乗ってあ乙がれの「水郷の月見」も雨にあい不調に終った一行の落胆は顔K出ずとも仏頂和尚の胸中も同じととであった。「まあまあ急せる乙ともなかろう:・:十五夜だけが月見ではあるまい、雨の上ったあすの十六夜の月見もまた格別であ-12-ろうji--・」やがて和尚の接待によって水郷の田舎寺らしい料理が並べられ、般若湯(酒)の廻る程に一行は明るくなって、江戸のは注し附や、鹿島の附に花が咲いた。しかし外は依然と大雨が降り続き止む気配さへ感じられない、むしろ明日の天気にも気にかかる大降りであった。すっかりとあきらめ切った一行三名の寝床は本堂の大広間に用意されてあった。江戸より早発ちをして陸路わらじの紐を替える暇もなく歩き疲れて船に乗ったが、酒や唄の夜船の賑やかさに一睡もせぬ身に、今席の和尚の振舞う般若湯の心地良さも手伝ってい