ブックタイトルふるさと潮来 第五輯
- ページ
- 18/114
このページは ふるさと潮来 第五輯 の電子ブックに掲載されている18ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは ふるさと潮来 第五輯 の電子ブックに掲載されている18ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
ふるさと潮来 第五輯
大洲の区有文書植田敏雄一、はじめに数年前に同好者が集まり古文書学習会をはじめたのが契機で、町内の大洲地区に多くの近世文書が保存されている乙とを知った。乙の文書の大部分は江戸時代の庄屋引継文書であるが、明治以降、大洲の区有財産として歴代の区長が引継ぎ現在民伝えたもので、去る五一年に茨城県歴史館の高橋実氏吉田俊純氏らが調査し、史料目録も作成されている。整理された史料は約七三O点、他に未整理の一紙文書が若干ある。ζれらのうち主要なものをあげてみると、第一民年貢関係の史料で、初めて大洲に庄屋役が設置された正保二年(一六四五)以降、明治三年(一八七二までの年貢割付状が揃っている。また皆済目録も延宝1嘉永期のものが不揃いではあるが残っているので、村高の増大や年貢納入の推移を知るζとができる。次には土地関係の史料で、寛永一八年(一六四一)の検地帳のほか、安永二年(一七七三)宝暦六年(一七五六)安政四年(一八五七)の新開検地帳等があり、年貢割付状と併せて大洲新田の開発過程を知る乙とができよう。支配関係では、文政八年(一八二五)以降の御用留、村日記がほY揃っているので、幕末期の水戸藩政や村政の動向を知るうえで重要である。更に近現代の史料として、大洲が独立村であった明治前期の行政関係、明治二二年の潮来町合併から昭和初期までの町政関係史料が多くあるので、明治以降の大洲の歩みや潮来の近代史研究に極めて重要と思われる。二、大洲の開発大洲新田の開発は戦国時代の末期にはじまる。開発者の子孫、村田影彦氏の「村田大系図」によれば、村田家の先祖は千葉氏の末流で、下総国香取郡村田(現大栄町村田)の城主村田有通である。天正三年(一五七五)有通主従が鹿島参詣の帰途、乙の洲に漂着し開発を志したという。天正一八年(一五九O)小田原北条氏に組した千葉氏の没落は、末流村田氏の没落に連なり、大洲に漂着した有通の第二子彦五郎は、従者と共に大洲に移住し開拓をはじめた。乙れが大洲新田開発の第一歩である。初期の開発状況は不明であるが、前記系図に「文禄慶長ノ頃近郷ヨリモ入百姓有之、家数七軒トナル、依テ七軒島卜唱司へル」とあるととろから、村田氏主従のほか近隣よりの入百姓のあった開発初期の一端が知れよう。そして水戸藩最初の全領検地が実施された寛永一八年の「板久郷大須新田御検地水帳」では、「田畑屋敷合弐拾参町三畝拾七歩、分米合弐百氏U唱i壱石壱斗五升六合」と開発は進んで、名請百姓六O人、うち