ブックタイトルふるさと潮来 第五輯

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概要

ふるさと潮来 第五輯

昭和十六年の水郷汽船顛覆事故大久保錦むかし水難、いま空難さる三月二十七日(日) スペイン領カナリア諸島のロスロデオス空港滑走路で、パンアメリカン航空のボーイング加チャーター機(乗客三六四人、乗員二ハ人)とオランダ航空(KLM)の同型チャーター機(乗客二三五人、乗員一四人)のジャンボ機同士が衝突、爆発、炎上し、生存者が七二人あるものの、死者は五七七人に達し、航空史上最大の事故とな(一九七七年三月二十九日「朝日新聞」朝刊およびタった。干IJフランスのオルリ空港離陸直後のトルコ航空のエアパス(DCU型機)がパリ近郊のエルムノンピルの森に墜落、日本人四八人を含む乗員、乗客三四六人が全員死亡した事故(不運にも乙の事故で遭難された牛堀町清水出身、麻生高校・青山学院大学英米文学科卒業株式会社トーメン入社の石橋浩君のご冥福を祈ります)をはるかに上まわり、大量輸送時代における事故のすさまじさを物語るものであった。乙れは一九七三年三月三日(日)乙れらにつけて思い出されるのは海難事故である。海難史上、世界の五大海難事故のうちでも、タイタニック号と洞爺丸の沈没事件は特筆に値するように思う。一九一二(大正元)年四月イギリス船タイタニァク号四六、三二九総トン、全長二六五メートル、全幅二八メートル)はホワイト・スタl ・ライン社の定期客船として建造され、当時最大の豪華船であった。船体は一五個の水密隔壁で四区画が浸水しても安全に設計され、不沈船と信(一ノットは時速一カイリ〆’、、区画され、じられていた。二二ノット一・八五二キロ)の速力で、定期航路のサウサンプトンからニューヨークに向けて処女航海の途上、五日目イギリス)の十四日の夜ニュl ファウンドランド沖合で氷山に触れて、船底に亀裂が生じ沈没、七一一人は救助されたが、一、五一三人が死亡した事故である。(犠牲者数および生存者数は文献により差異がある)乙のタイタニック号の悲惨な遭難を契機に、すべての船舶は乗船者全員を収容できる救命艇を備える乙となど「海上における人命の安全のための国際条約」が成立し、また、北大西洋には国際氷山監視隊が設けられた。日本では一九五四年(昭和二十九)年九月二十六日国鉄の青画つd連絡船洞爺丸(四、三三七総トン)が台風のため沈没し、旅客、乗員合わせて一、一七二人が死亡、救助されたのはわずかに一五九人にすぎなかった(ティビlエス・プリタニカ「ブリタニカ国際大百科事典」他)戦後の阻和二十四年十二月から佐原l潮来、横利根l牛堀