ブックタイトルふるさと潮来 第五輯

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概要

ふるさと潮来 第五輯

捜索中だが絶望とみられてゐる。「朝日新聞」昭和十六年五月十九日(月)号四十九名溺死水郷汽船顛覆惨事死体の捜査進む〔茨城県延方電話〕既報、十八日午後五時頃水郷汽船水郷丸三十号(船長小沢正雄(四O)機関士鈴木義次(一九)が香取、鹿島神宮参拝の客東京府下武蔵野町中島飛行機製作所職工永田忠外二十四名、東京板橋区志村町凸版印刷所職工十四名、東京向島区寺島町四丁目隣組十七名その他計七十六名を乗せ、鹿島郡豊津村大船津を発し潮来に向け茨城県行方郡延方村地先利根川を航行中顛覆し、乗客は湖水に一呑みとなった惨事につき、茨城県麻生警察署は必死の救助作業を続けてゐるが十九日午前十時までに判明したととろによると乗組は七十六名(乗客七十四名外に船長機関士)でうち生存者二十六名死者四十九名行方不明一名である。不安の一夜を明かした十九日は前日の風雨もやみ湖上は油を流したやうに波静かで未明から活躍の地元茨城県行方郡延万村警防団員などの死体捜査部隊も自由に活動出来三、四時間ばかりの聞に四十二名の死体が捜査隊の操る鯉釣針’戸、,、,、J-ohuぃ・4UAMeナh なほ死体は現場に近い延方村普門院内に安置されてゐるが、東京からはるばる押しかけた遭難者の近親者、友人、隣組の人々などで境内は埋まりまた河岸の土手は行方不明者の霊ぞ呼ぶ人々や見物人で人垣を築いてゐる、幾多悲話のうちにも同船内の売店をやってゐた佐原町岡野実弥子さんつ一二)三人姉妹が揃って溺死したのは殊比一課をそhった。死亡者氏名V凸版印刷板橋工場職工-v中島飛行機武蔵野製作所内須田町食堂(十名略) (十一名略)V向島区寺島町内会(十九名略)V芝区芝浦町六二小野かく(四O)外八名略)一課の合同慰霊祭〔麻生、電話〕水郷丸三十号の顛覆事件で香取、鹿島両神宮参拝の帰途不幸溺死した四十九名の合同慰霊祭は検視の終るをまって十九日夕刻地元茨城県行方郡延方村が主催となりしめやかに執行、同村の大工が総動員で作った棺K納められた死体は慰霊祭執行直後直ちにトラックで東京四ツ木の火葬場に送られ茶毘に付しそれぞれわが家へ向ふ慰安の旅行に遭難凸版印刷板橋工場工員の遭難者十五名の中救助された者は、中島栄太郎(二九)吉田正治(二九)麻生一夫(二五)木田橋喜一郎(二二)の四名で同会社で語る。前者深更通知に接して驚いてゐる中K午前零時半頃生存者の中島栄太郎君が情況報告に来て詳細が判りましたので井上社長以下が今早朝現場に急行しました、有志達だけで日-33-