ブックタイトルふるさと潮来 第五輯
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ふるさと潮来 第五輯
孔子礼讃延方郷校は元、水戸延方学校と称し、文化四年(一八O七年)庶民の教育のために、小川の稽医館に次いで水一戸藩第二の藩校として建てられた。教学の中心は儒学であるが、日常生活に必要な実用教科や、自分の好む専門教科、更に医術や武術に至るまで、今の高等学校や大学程度にまでも及んだ。文化七年(一八一O年)には大成殿(聖堂)が建てられ、水一戸藩主七代徳川治紀(武公)より賜わった「至聖文宣王」の五大字の掛軸が紀られた。文化十四年(一八一七年)には八代藩主徳川斉惰(哀公)親筆による築書を刻した「至聖先師孔子神位」が之に代わり紀られた。金沢の藩士沢田平格推されて教授となり子弟の薫陶に当る。津宮の儒者久保木幡竜(竹窓)も藩命を以て迎えられ毎月二回教鞭をとり、又毎年祭主となって釈冥(孔子祭)を営まれた。現在乙の霊牌は内田山延方郷校跡に蔵せられている。(文責磯山二郎)聖堂遺蹟懐古山野清作聖窓故廟莫タ公,郷ぜ遺費山業何多跡処ノ感伊辺慨煙ゾー荒晩孔姻穂子漠無堂々f数亡テタ’曝一陽寒百前天年往一伝時百聞遺年往蹟前音ー講人基読文石声府延方郷校「聖堂」孔子讃歌一、時は春秋戦国の世家貧しくて孝子出で国乱れて忠臣あらわる孔子生れて二五OO年魯という国は中国の山東省の中なりき回目平郷は曲阜とて済南・徐州の中程で日本の西は一二OO粁孔子の生れし所なり二、世界に四聖ありという孔子釈迦キリスト説く表現は異なれど苦しみ悩む人々を空今輩剰聞出聖野藩堂鳥中文草幾庫虫聖名鳴賢〈岨和三十年作を偲んで磯山マホメッ卜郷土考より)自E-2ー