ブックタイトルふるさと潮来 第五輯

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概要

ふるさと潮来 第五輯

の西の玄関口、博多を偲ばせるものがあった。明けて二十八日中国客船艇静号に乗船、午前十時二十分発にて一路天津港に向けて出船する。耀華号は中国籍、一万百五十一噸乗組員も全員中国人、通訳が無くては会話出来ない、医師も内科医二人外科医二人の豪華船。生まれて始めての渡洋航海であったが、名にし負う玄海灘も気象状態が良かった為、案じた程のものでなく、揺れもジャンボ飛行機並のもの。船内長時間生活も馴れないので、最初は窮屈さを感じたが、航海中色々の催しもあって、四十五時間はそれ程退屈さを感ぜず、天津港には三十日午前六時四十分頃入港した。多数の中国人の歓迎を受けつう、八時過ぎマイウロパス二十台大型パス六台民分乗には全員下船完了、して、天津市内のそれぞれのホテルに分宿すべく(中固にはまだ四百名収容のホテルは無く、目下建設中の由)出発する。途中到る処に、「熱烈歓迎子々孫々迄友好親善を深めましょう」の横断幕が自民写る。中国人民は日中戦争では、日本軍に伺回も攻められ.悲惨な自にあったが、「私たちは日本の人は恨まない、悪いのは戦争指導者だ」と。日本人民対しては敵意は愚か伺の悪意も持っていないと云ぅ。天津港周辺は昨年の大震災(震度七、(関東大震災は七、五)で、港湾附属の建物や、工場等乙そ倒壊しなかった(損傷はひどい)住宅は殆んど倒壊し、辺り一面は広野tJ 三原、片付けも末だ済まないものもあった。難民は市内の公園の片隅か、広場の塀などをあてにして粗末な小屋住い宇そして居る。大惨害の跡がまだありありと残っている。復興の見通しはと質ねると、復興もさる乙とながら、先づは四つの近代化が先決であると決然と答え、国民の国造りえの意欲を感ずる。四つの近代化とは付農業(十億国民の食糧確保)口工業(十億国民の生活向上)白教育(永い聞の遅れを取戻す為めの智・徳・体の教育)四国防(各国と国境を連ねている、特に対ソ連である)。震災で荒廃したとは一言え、天津港より少し行った処では盛んに油田の掘撃が行われているのが目立つ。-48-途中、運搬用の三頭馬車が頻繁に行き交って居る。トラフヴの台数と半々位か。日本の様にマイカー的なものは殆んど見当らない。一時間余りで天津市内のホテルに到着。此処天津市は中国で三番目の都市としてランヴされている。因みに人口順に挙げると、付北京八百万∞上海七百万臼天津六百万四旅大(大連、旅順、錦州が合併)四百二十万@南京四百万となる。暫く振りで陸上のホテルに旅装を解き、昼食をすませた。午店はパスを連ねて市内見学、メリヤス工場を視察する。敷地八万坪、建坪四万坪、従業員四万六千(内女二万)四原則に従い規律正しく働いて居る。能率より先づ安全をモットー