ブックタイトルふるさと潮来 第五輯

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概要

ふるさと潮来 第五輯

位が特に歓迎に出て呉れ、公園内の野外演芸場にて交歓会が日本の歌等を歌とても盛会民出来、此処でも大分友好親善が深められた様に思えた。午前の日程は無事終り、ホテルに引返し昼食をすまし、午后は天津の中心広場の劇場に案内され観劇、一般市民は入場出来ない。吾々日本人と少々の外国人のみ、出し物は中国風の楽器による合奏、合唱、独唱、中国独特の曲とほ〈芸等盛沢山、此の劇場は文革前は公営の賭博場であったが、催され、ダンス(吾々も一緒)、中国の歌、って、禁止令により改造したものであるとの乙と、収容人員は七百人、充分観賞して午后五時頃ホテルに帰る。明日は愈々万里の長城行き、早出発の予定なので夕食を済まして皆早々に寝に就く。訪中以来お天気に恵まれ、気温も朝晩は冷える(大陸的)との話を聞いていたが、心配した程のものでなく、殆んど日本の当地方の気候と変らない様に感じた。五月二日今日もよいお天気、予定通り四時三十分朝食。末だあたりは薄暗い。なつかしの三日間の宿も全部引き払い、纏めていつものパス(中国親善旅行中予め決められた)に分乗して五時ホテル出発。途中広大な水田を両側に眺めながら、巾二十米位の延々と続く直線道路を二十六台のパスは北西進続けるu 道路の両端には、街路樹が二列に植えられ、一列が小さい、所定の樹令(直径三十糎)に達すると伐採して家具材に使用、枝や根(掘り起し)は燃料に用い、跡にま一列が大え7\た苗木を栽植、交互に伐採して伺時も、大樹が両側一条が道路を被う様に按配して居り、夏の日除けに役立たせるとの乙と。地域事情による乙となるも、此の地方は殆んど田園児て、稲作地帯、山林も無く、畑作の「トウモロコシ」の殻も無いので、燃料に事欠いての生活の知恵である様である。八時半頃北京市を通過、今度は山道、山文山は草木の無い岩石山、辺りには石の加工場、コンヴリl卜用の砕石工場等が散在し小さな工場地帯を形成して居る。そ乙を一時間程走り、目的地万里の長域交叉点の八達嶺に到着。此処には鉄道の八遥嶺駅もある。自動車などによらない人達は此の駅を利用する。吾々一行も当初は鉄道の予定であった。他の団体、中国人等も数多く、各地からの見物者でごった-50-返して居った。此処は海抜八百米、四万の山々は千米位。駅附近には数戸の人家があり岩また岩で勿論水田等は無い。ほんの少々ばかりの畑(細石畑)でどうして生活の糧を得て居るのだろうかと首をかしげる様な処。道路沿いの山肌に辛うじてしがみついてるかの様に、ふくいくたる満開の梅が此処彼処に散見され、こよなく詩情を誘うような風情を呈して居る。万里の長城の総延長は五千四百粁(鹿児島、稚内聞は二千百粁、中国では一粁が二華里なので万里の長域と呼ばれている)、道路の両側比六百五十米宛を観光用に復元したものかなり急勾配で六百五十米を登りきるものは一行中三分で、の一位、嘗て元総理の田中角栄氏が、日中友好親善に訪中さ