ブックタイトルふるさと潮来 第五輯
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ふるさと潮来 第五輯
れた時の、万里の長城での写真が、丁度此の辺かと思う中頃で引返した。此の長城は二千五百年前の周朝末期、北方騎馬民族の侵入を防ぐため、春秋戦国各国が構築したものを秦の始皇帝が長城に仕上げたものである。域壁は高さ六、六米、壁上の巾は平均五、五米、基礎巾は平均六、六米である。人類史上最大の建造物であり、月からも見える唯一の建造物で、乙れを造り出した中国民族の忍耐強い工、ネルギーに驚嘆きせられる。一時間位の見学で帰途に就くJ下り坂の各所に目を馳せると、到ろ処に長城の残骸が飛び込んで来る。乙れも五千四百すかさずカメラに納めたくなる。パスの中で粁の一部かと、の勉強も仲々忙がしい。昼食と夕食を同時に配布され、車中で昼食をしながら北京へと下る。一時間位にして三時頃北京到着。天安門前広場は百万人の集会が可能とのこと、天安門と広場を挟んで向い合って、故毛沢東記念碑『人民英雄永垂不朽』の高さ三十八米の碑が聾え立つ。天安門を中心比四角形、三万に種々の広大な記念館的な建物が建ち並ぶ姿は、実に雄大さを感じさせられ、十億近い国民の広場にふさはしいなと領ける。文天安門のある一角が「棋の民」。八百年前に建築佐直したとの乙とであるが、乙れは嘗ての帝政時代の政治、経済、文化の中心的場所に当その申の無数の建物は要人の住居であったのだ。たり、(ム寸の中心は此処より二粁位離れた処)。五うなれば日本の京都御所、桂離宮の様なもの、博物館として保存され、それが中国風で華麗である。今は一般参観も出来る。中国のメーデーは労働者は三日間、学校は五日間の休み、そのためか、今日五月二日も、万里の長城も、此処、天安門広場一帯も中国人の家族連れや其の他で雑踏して居った。此の『故の宮』の見ど乙ろは、正面に当たる、「午門」で凹字形をほし、城壁は濃紅色に塗られ、高さ十二米、其の上に五鳳楼と呼ばれる五棟の楼閣が乗かり、仰ぎ見る者に三万からの威圧感を与えている。此の「午門」から東西に高さ十米、厚さ八米の城壁の外側を『筒子河』という人工の水壕が囲んでいる。其の中に、往時使用したそれにふさわしある。-51-い建物が建ち並んでいる。真っ直ぐに通り抜けるだけで約一時間か与る。実に壮観と云うか、中固ならではの啓一入なるものがある。万里の長城見学の疲れに加え、好天気に恵まれ気温も二十三度位迄上昇したので、研修意欲は充分の筈であるが、な人だか一行も大分疲れて、天安門広場を引揚げた。それよりパスにて三十分程にして北京市の友誼商店(直接中国が経営する外国人向け土産品店で中国人は這入れない)に入る。高級品が多く一寸手が出ない。百五十年前から、二百年前の、書画骨薫等は日本円で、二百万円から三百万円、ジュウタン、毛皮等も仲々高価である。かと云って、日本の様に、何処に