ブックタイトルふるさと潮来 第五輯
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ふるさと潮来 第五輯
も、彼処にも店がある訳ではない。ほんとに限られた処に、眠られた店しかないので、適当に見つくろって買うしかない。制限時間内で買物をするのも心せはしく、大よそにして、此の店を引揚げ天津港に向う。昼食と同時に渡された夕食を車中にて食べながら、八時頃港民着き、早速「耀華号」に乗船、九時大連港(旅大港)児向け出発す。風速八米、多少の揺れを感じたが、疲労して居たのでぐっすり眠る。明けて五月三日十時三十分大連に入港。十一時下船、埠頭には多数の大連市民と、小学児童四百人位が手に手に花束を持って、熱烈大歓迎障を張っていて呉れた。二十六台のパスに分乗し市の中心を通り抜けで、大連港を一望児見下ろす、東山罫鍛(栴飯島爵鍛とも云う、今より二十年前創建)にて昼食、以後大連滞在中は、昼食と夕食を此の東山軍総(迎賓館の乙と) 間続く。で、宿泊と、朝食は耀華号でという生活が、三日午后一時大連お削除離療養所を視察、仲々立派なものである。説明によれば、嘗て日本が建造したものとのζと、大連沖を一望にする絶景の山の上の施設だけに、乙の天然の素晴らしい環境の中で、療養出来る今の中国人は幸せだなあと思う。対象者は伺れも中年の男女で、神経痛、リュウマチス、消化器系の手術予後の療養で、社会復帰の出来る者達である。錨・灸・電気物療養等を施すとの乙と、婦女子の室も訪ねる。と云って、手を差伸べると、皆喜ん一lハオ(とんにちは)で握手して呉れた。通訳を介して、色々話しかけて見た。其の中で、子供が伺人あるかと、次々質ねたら、向れも一人乃至二人であった。見学が終って、質疑応答(約一時間)ので、産児制限でもして居るのかと質問して見たら、全く其の通りだとの回答。の時に、子供が少い今、中国は確実な人口はつかんでないが、国土も広いが人口も多過ぎる。割合に田や畑が少ないので国内産の食糧では賄いきれず、産児制限をして居るとのこと。其の教育を小学校児童から施している。実に徹底したものだ。ベットは百六十床。別棟には多少の老令者も見受けられた。二時間位の見学で辞去。少し離れた処に、梅に面して者舟舵公園がある。中園児渡ってから、松の庭木とか、松林の山は殆んど見られなかったが、此の公園には珍らしく散見され、日本氏居るqL PD様な感じさえした。園の作りは伺処に行っても、ま乙とに簡素であり、飽迄四つの近代化目標遂行乙そが、国是と云う様なものがこうした点にも見受けられ、市民はこのような中で、海辺児、楽しそうに遊んで居った。そろそろ夕日圧の上に、が大陸の彼方に枕む(大陸平地の日没は日本時間より一時間遅い)五時半頃、東山賓館に帰り、夕食を済ませる。其の夜は市の招待により、大連劇場にて演劇観賞、日本では見る乙との出来ない中国独特のものであった。約二時間の演劇、九時閉幕、九時半帰船、見学記録の整理などして、窮屈なベッ