ブックタイトルふるさと潮来 第五輯

ページ
56/114

このページは ふるさと潮来 第五輯 の電子ブックに掲載されている56ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

ふるさと潮来 第五輯

実に偉大な努力の跡が見られる。耕地面積四千百ヘクタール、世帯数九百五十二、人口三千九百六十二人、裸山(石山)を段々に石を積み、平地にしては畑を作り、リンゴやサクランボを栽培する。丁度日本の静岡密柑園の至極条件の悪い所を思わせる。それでも皆楽しそうに張り切って働いている。子弟の教育もよくする.娘等の花嫁修業も農閑期を利用してやっている。日本の戦前の小作百姓より悪い文革前と比べたら、ほんとによくなって、雲泥の差があるとの乙と。まるで七百八十世帯(約八Owm)近いものが貯金をして居るそうである。全部国営であるのに、貯金の必要ないではないかと、質問したと乙ろ、否そうではない、大体従労者の月収は、日(家族が他の職業民就いている世本円で六千円から七千円位帯もある)生活して余裕が出来たら、先づ自転車(最高の交通機関)を購い、そして背広も、尚、余裕が出来れば貯金をして、自己所有の住宅も建てられる(厳しい討議の上)ので、希望を持って働けるのだそうだ。従って、ソ連方式とは大分違う。生産も漸次増大する様になる乙とだろう。地域によっては、家畜家禽の放し飼いも多少見られたが、此処后牧生産大隊は、柵内、畜舎で飼育し、糞尿を原料にして堆肥を作り肥料にする。購入肥料は三Omm位とのとと。しかも立派な作物が出来ている。そとで感心させられる乙とは、其のい市街地は勿論だが、農家部落に入っても塵ひとつ落ちてない、非常に清潔な乙とである。農家の炊事場等もほんとに奇麗で蝿一匹見当らない。経営の内容や、生活水準は、日本の大東亜戦争前後の状態にや〉似ている。すると三十年位遅れている様な気もするがω其の己泥棒、郎、静郎防のないことだ。(文革前は有名であホテル内も解放的で、室には鍵がいらない。従って貴重品等も、っロントに預ける必要がない。忘れ物、落し物等をすると伺処迄も持って追いかけて来る。又奉仕者、又は7r・れ比類する者にチップがいらない。子供等に金品を与えようとしても決して受取らない。大いに、見習うべき乙とだ。よくもこれまでに人民教育がされ徹底したものだと痛感した。毛沢東、華国鋒二人の写真が、広場、学校教室、職場、道路、家庭等、何処に行っても掲げられてあり、指導と、院みがされて居る様だ。そして四つの目標達成の為に、又日本が敗戦後幾伺もなくして非常な復興と発展をした乙との原因を探究し、それに見習って、追い付き、追い越せと努力し始めたばかりだとの説明があった。った)-54-一行中農業についての関係者が少いので、残念ながら見学時聞が少なかった。明年八月にも視察計画があるので、不充分な点は次回にゆずる乙とにする。東山賓館に引揚げて、中国最後の昼食をして、最后の見学地、旅大(大連)市立実験小学校の授業参観に行った。団員中に嘗て(数十年前)此の小学校の卒業者が数人あり、現地