ブックタイトルふるさと潮来 第五輯

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概要

ふるさと潮来 第五輯

じで、立面的には古墳時代後期の様相を呈していると言える。測量のみで発掘調査を経ていないので、正確に年代を決定する乙とは出来ないが、前方部の高さが後円部を凌駕する傾向にあるととや、大生古墳群の状況から本墳の構築された年代を六世紀代と見るζ とが出来よう。次氏周陸の問題を注目したい。本墳における周陸の存在は実測図によっても明確である。測量の結果ζ れらは二ケ所に分離されている様に思われる。すなわち一つは墳丘の北側で、後円部北側から前方部先端に向ってゆるやかに傾斜が認められるもので、一部クピレ部附近で深くなるが、全体的には地形にさからわず傾斜している。他の一つは墳丘東側で、周陸の外側に囲の様な微高地の張り出しがみられ、南側では、盾形の直線をなし、全体的に西側の地形が傾斜して行く。(槍崎)三、大生西第5号墳(叩頁参照)本墳は小さな谷を挟んで、4号墳の西側約六Omk後円部頂を置く。南西に面する前方後円墳である。台地端に立地し、台地そのものが北東から南西すなわち谷に向ってゆるやかに傾斜している乙ともあって、墳丘の規模の正確な数値を算出する乙とは困難で、やや陵昧であるが、全長約六Om、後円部径約三四m、前方部幅約三四m、クビレ部幅約二四m、後円部高さ約五m、前方部高さ約五?伊』はかる。等高線でみれば、後円部墳頂の方が前方部頂より高いけれども、自然地形が後円部から前方部に向って傾斜しているため実際には、墳丘端からの高さがほぼ同一となると前方部の発達した古墳である。後円部において、墳丘の傾斜角が三九、O六mのレベルを境に異なり、墳頂に向ってやや急になり一見ニ段築成の観を呈するが、前方部においてはζ の状況があまり判然としp-ap 、・0 r一し後円部北西側にやや平坦で、突出する観を呈する個所があるが、後世の陸によって一部を削られているため、古墳構築当時の遺構か、あるいは構築後の土の流出によって変形して出来たものかは不明である。また南東側墳丘外にも規模は小さいが同様な個所が認められるが、乙れについても不明である。-69-4号墳がほぼ全体的に周陸を続らしているのに対して、本墳は、北東側にのみ周陸を有している。ζ の周陸は本墳を構築する際に自然地形が傾斜しているために水平に整地しようとして削り取った個所をそのまま周陸としたものと考えられる。それは、本墳の北西側および南西側がほぼ平坦に整地されているのを見ても確認される。なお南西側すなわち前方部に面する個所は広範囲に水平に整地されている。乙れら三万に対して南側はそのまま谷へ傾斜している。との南側の斜面かつ壮大に映る。造出しは認められず、葺石および埴輪の存在は不明である。現状は、後円部墳頂および前方部頂の一部が変形している乙とと、北西側に走る後世のものと思われる陸によって墳丘の下方から本墳を望むと実際より高く、