ブックタイトルふるさと潮来 第五輯
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ふるさと潮来 第五輯
通じ、特に陽明学や禅についても造詣が深く、そして人に知られた勤王家でもあって、夫妻揃って贈位の恩典に浴している早巌にも、訪宮本茶村留宿話旧合で割愛する。茶村先生にも、当然応酬の詩があったであろうことは、想像に難くないが、墾現堂詩集には載勺ていない。の詩があるが、活字の都ちなみに、星巌夫妻は、潮来から鹿島、香取、小見川と足を延ばしているが、出るにも入るにも舟、舟で、紅蘭女史が(編集部) 舟酔いをして困ったということである。筆者鹿島町郷i史研究家江戸時代の葬儀松崎武臨終はどんな形にしろ、人生の終末であり、厳粛にして定それを知ると親族が集まり、死者の口にこの世の名残りの水を注ぐ。これを末期の水といい、葬儀はこの時にはじまるのである。まず亡骸は廷の上に移し、西向北枕にして逆さ扉風で囲む。その部患には仏画を出け、枕頭に棲を捧げ燈火をつけて香をたいた。また、短万をおくのは悪魔払いのためであった。しくあらねばならない。雄その夜親族が集まって御通夜会し、死体を湯濯で清めて髪-eょう0たびらを剃る。剃髪は坊さんの役であった。終って経雄子を着せ、六道銭とお守りを入れて頭陀袋を死者の首にかけさせる。末た額に三角紙、手足には白の手甲、脚砕をつけるのは、皆あの世の旅立ち支度であった。棺はふつう方形棺で、高貴の場合、稀に寝棺があった。ド下で早桶を用いるのは棺のストックが不足なためで、早桶は注文と同時に即製にするからだ。最もお粗末な棺である。葬送は、古代から夜にかぎった。町村に喪があれば槌の音さえ遠慮するといわれるほど、家人の苦しみを思って静粛にしたのだ。夜陰は出棺の喧曝と、壊を避けてしめやかに、心ふ」乙めて送ることができるからだ。-76-いや、最大の理由は伺といっても棺を日光に曝すことを嫌ったためである。葬列には町内の各家、農村では一村をあげて会葬した。葬列に加わる者はすべて徒歩、それが死者への当然の礼であった。葬列は、先頭に無紋の高張提灯がゆき、次に竜頭の六角燈龍・紙製の帳がそれにつづく。そのあとに輿がしずしずとゆあんくが、高貴の人なら輿、平人は駕龍、下層では台に乗せて安かけむ,、直に運んだ。棺は全体を白布を巻き、さらに白衣の掛無垢をかけるのがならわしであった。棺のあとには喪主が位牌を捧げて従い、さらに近親者が香炉や供物を持ってつづく。武家では死者の身分により、槍や