ブックタイトルふるさと潮来 第五輯
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ふるさと潮来 第五輯
宅したといわれる。(古老談)レドk,』、-『C中t’いわゆる「八人頭一の例については、故新荘桜涯先生(『ふるさと潮来』第三輯=了二ハ頁)でみると生の執筆になる「二重谷沿革史」安政四年開屋年寄同同同同同同圧兵衛宮本平右衛門関戸利右衛門窪合窪谷太右衛門関戸喜右衛門石田半右衛門窪谷仲衛門宮本山三郎しかし、明治五年(一八七二)に、従来の名主(作尾)、組頭などの村役人の制度を廃止して一戸長、副一戸長の制度を定め、次いで行政区画を改め、大区小区の制度が定められた。その後、同八年九月には行万郡はすべて一二大一胞に、そのうち潮来、辻は三小区に編成された。(嗣旧敏雄先快「続潮来のあゆみ『ふるさと潮来』第二輯一貝) その当時の例を前掲の第三輯二Oー一二頁)でみると明治十年三片十五H「二重谷沿革史」(『ふる・8と潮来』の「二圭谷を売買する条例」の僚印者茨峨県卜第十二区三小ば乙の史料から、常陸国行方郡潮来村石橋東一郎西一町目外八十八人上一町田山口弥じ外八卜一人F一町目久保大吉外九十三人4-丁目三丁目覚蔵外六十二人宮本山三郎関I斗外五十二人四丁目石田太郎-82-外九十二人五丁目宮本寛太郎外五十七人六丁目大川儀助外四十一人七丁目窪谷作太郎外八十五人八丁目小林七之丞外五十四人目、仁一町回、下一町目及び浜一町目の四つに分裂していた明治十年までには、すでに一町目が西一町