ブックタイトルふるさと潮来 第五輯
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ふるさと潮来 第五輯
升( 三・六立)、三升(五・四立)位の小がめが二十個程奉納されていたといわれているが、戦時中かめの品不足により信者が借りて持ち帰り、現在は嗣の中に二個、一刺の外に二個奉納されているにすぎ佳い。このかめは蛇が棲み家とするもので「願い事が叶うとかめを奉納する」苦からのならわしによるものである。戦前に在った大きな男がめと女がめも芸を競った二人の潮来芸者が、素晴しく芸が達者になり願い事が叶ったお礼に弁天様に奉納したものといわれていた。潮来弁天は、商売繁昌と芸達者それに美人になる事をお祈りし、特に江戸時代から花街に関係する女郎や芸妓達の信仰の中心であったのである。祭日は毎年九月の己の日で、信者達は「おむすび」や「お又大正末期頃までは毎月十一日のご縁日には旧潮来・津知・延万地域の按摩さん達が十数人集って「按摩相模」をとって大いに楽しんかず」を二品・一二品と作って奉納するという。だものだといわれているが、今ではそのならわしもすたれて見られないのは残念である。昭和の始め頃から弁天様の境内に、日蓮宗日本山妙法寺の庵住様が住み弁天様をお守りされ現在の庵住様は第三代目の万という。又、戦前には、白い紙で牡丹のような造花を作り、神前にお参りするとその花びらを一片づっ戴いて財布に入れ持ち帰るとご利益があり商売繁昌、金がたまったといわれて供ぇ、、〉SA 、しそカ乙のならわしも今ではすたれて見られないのは誠に惜しいかぎりである。現在弁天様の管理は素鷲熊野神社が之に当たり、又、正月二日比は園部氏の子孫である園部清氏が七五三縄とお供えを奉納して古くからの伝統を受けついでおられるという。(潮来町西丁故久保田喜一翁園部清氏の談話より) 潮来町四丁目筆者潮来町文化財保護審議委員「ふるさと潮来」編集委員-91-