ブックタイトルふるさと潮来 第六輯
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ふるさと潮来 第六輯
しん智げしゅう清拙和尚の語録・清規・外集には、「清拙和尚語録」ぜんごげしゅう「大鑑小清規」「清拙和尚禅居集」があるが、外集(詩文集)の「禅居集」では、俗兄で一世の文筆僧月江正印や法友で日本の五山文学に〈りんぜいむ最も影響を及ぼした古林清茂らと同様、題材を仏教の域から逸脱しなげじ。げじゅいで文学活動を偏煩に限定しようとする傷煩主義運動をとっており、日本禅僧が当世風の文学に耽溺するのを誠める方向に力をつくした(『五山文学』他) 。「大鑑清規」はっす清拙和尚の伝記研究にあたっては、清拙和尚の法嗣天境霊致の作呈わんしとうりんえいよした行実によって、曹洞宗宏智派の東陵永の撰述した「清拙大鑑禅師塔銘」が原典になっており、以下、その書き下しと現代語訳、および清拙和尚の略年譜の作成を試みた。幸い斯界の第一人者玉村竹二先生、東山建仁寺総長伊藤東慎師をはじめ、多数の先学からご指導ご支援を賜り、所期の目的を達成することができたことをここに深謝する次第である。「清拙大鑑禅師塔銘」例一、続群書類従完成会編『続群書類従・第九輯下・伝部』に収録されている「清拙大鑑禅師塔銘」を底本とし、お茶の水図書館所蔵の相州鎌倉禅居庵蔵版『大鑑録』(写本)の「塔銘」を参照して〔注〕(1)J(幻)、(印)J(日)を加えたが、最少限にとどめた。なお、〔注〕で(写本)といっているのは、前掲の『大鑑録』を指してい凡る)は語句の注釈であり、〕はわかり易くするために補填したものであるが、ともに最少限にとどめた。一、〔通釈〕の文中の(r一、一、清拙正澄略年譜の作成にあたっては『なお、)は参考事項として加えた。』でそれを明示した。一一、原文清拙大鑑輝師塔銘四明樟沙門東陵永輿撰古人之有位者。惟能以道徳自任重。人莫不敬仰而尊崇之。侍勢利以自高者不取駕。余生於元朝之初。及見宋末三教諸大老。皆以道徳橋尊一代者不少。浄慈愚極併心稗師日天下老和尚。其嗣子清拙和尚。以併法爵己任。首衆大仰。時輿余厚善。及予来東因。調師巳順寂長。其上足天境致稗師董建仁。具乃師行貫。謂予知師之詳。求銘其塔。予不酔駕。師詩正澄。続清拙。福州連江劉氏。母孫氏。夢呑月字。及産白光満宮。気驚異之。四歳入事。敏慧過人。年十五。父母捨送州之南報恩出家。時月醤園調師嗣痕絶和尚。遂得剃度。十六受具戒於開元。十七。依鼓山平楚聾輝師。時法席全盛。叢林大耀皆講行。痛自心責正。因出家行脚可虚負乎。然川門香以自誓。引堂危坐者六年。衆中有谷源岳首座。元方並回議員二臓主。暁飽参。乃従事拍之。豪雪。因閲世貫主党志論議公案。員日。汝作廊崎生舎。師欲答。員以手掩其口、師思首。普公一日間云。浄法界身本無出浪。阿那箇是無出浸底浮法界身。師云。-12-