ブックタイトルふるさと潮来 第六輯
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ふるさと潮来 第六輯
あたしゅうに丁って、衆を集めて禅坐。建仁の如し。ならびとも男井に老幼を領じて、倶に戒を一果け衣を受けて、弟子の礼を執る。信ぽんぜっ州伊賀良圧に就いて、党利一所を創建し、山は畳秀と名づけ、寺は開はちゃうしんf善と日ふ。師を請じて開山とし、並に百丈清規に依って行はしむ。越ぽいんし喰うに三載。戊寅十二月十七日、縁の尽くるを預知して、衆を集め謝事す。ゆくくゆるすなはれいあんじゃ両序仙の香宿抑留して、鼓を鳴らすことを容さず。師乃ち声を胤して行者くうしんぞしゅしゅちょうを叱し、鼓を樋たしめて陸座。衆に別れ性杖(臼)を携えて門を出づ。径ゆぐんなふじしゅぜんぎてうぶんみことのりちに東山の禅居に往く。群柄、湧き随ふ。寺衆余議して朝に聞す。翌日詔下って再起せしむ。師力めて辞するに疾を以てして就かず。累りに徴L しそきぼういたすること三たび。強ひて就く。踏素欣躍す。明年己卯正月十日、城に抵っめぐびゃうて諸山諸官に賀正の礼を講ず。晩の回るに至って、徴悲を示す。医者しりぞわずらまきをへ至る。皆之を却く。十二日、信州の太守に女有り。久しく患って将に終すなはんとす。為に受戒剃度せんことを請ふ。帰れば則ち疲るること甚し。っかおほひ然れども学者に応酬することは懲れず。語を求むる者衆し。筆を援いmT しゅぜんてんて曜まず。十五日に至って、両序を進退す。衆に陪して煎点。既に退もとげのこいて紙を索め、慣を書して諸山の尊宿官員道旧に遣す。一々遣すことかつあんじφ いちいかい無し。前年曽て行者本通をして両軸の清江紙を縫背せしむ。一は遺誠いちじゅを書し、一は辞世の頒を写す。文遺表を作る。十七日に至って、書すげζ たばのちあらたる所の偏語束を成す。他筆を仮りず。然る后浄髪泳浴して、衣を更めあいべっかときぞんかう新なる鮭鞭に易へて、端必談笑すること平昔の如し。伯州の太守土岐華字、だんしゃうせうひつぎeうぷぜう子の弾正の少弼、孫の刑部少輔と同じく至る。師を礼して疾を問ふ。いはやや酬対するに倦むことなし。従容として謂って日く。今天ドは梢定まり、かんちゅうきみらがんりきさいほ賓中将に安んぜんとす。公等は願力に乗じて、身を宰輔に現ず。宜しなげごわがしゅくく邦家の羽翼と為って、仏法を外護すベし。古川悦を忘るること勿れと。あそん信州の太守小笠原朝臣貞宗まゆいげあはおも面のあたり遺備を書して、古銅の香炉と井せ、以て永訣の懐ひを表はげどうきはます。太守泣いて日く。師の在世を得て、化導窮り無くんば可なりと。ふるりぶ一俣を陥って別る。又足利大夫将監源公、及び大友吏部侍郎源公至り、ともえうあは戒法を菓けんことを求む。師与に法名を改め、衣孟を付し、井せて戒さづじLe ちょうみつ法を授く。難色無し。遂に侍者の澄密を呼んで日く。汝は是れ末後のかえまつごのくえずなははちeうそき侍者。還って末後句を会すやと、密泣いて言無し。今日廼ち百丈祖忌ひはくをうたくしゅその辰なり。吾将に行かんとすと。命じて嘆翁琢首座・古田虞首座・玉つうすLeうなげいは峰堤都寺を請じて至らしめ、証明を為さしむ。備を書して云く。びらん〈う毘嵐空を巻いて海水立ち、うるほ三十三天星斗湿ふ。ちじんいかとむち地神怒って把る鉄牛の鞭。石火電光追へども及ぶこと莫し。なげうゆきみあらはだいかん筆を榔って泊然として斯く。上は遺表を見て、哀みを色に形し、大鑑しゅゆいげ禅師の号を追誼す。(M)諸山は遺書を見、衆官員は遺備を見て、哀痛宇かんじゅんかふじゅっして己まず。師は大宋威淳十年甲成正月十三日口時に生れ、本朝暦応きばうとりじじ@〈がんい二年己卯正月十七日酉の時に示寂す。高を停むること一目。顔貌は生じんよしそくるが如し。観る者無数。東山の西南の岡に火化す。櫨余綿素の舎利を獲る者多し。是に於て灰土も争って収取を為して余り無し。其の末なげしふ後盛大なり。敬慕せざるは擁し。語録二巻外集三巻(倒的)刊行す。弟子とけんぜμを度すること若干。其の徒堅貸能く師の遺命を奉じて、衣鉢を暫して田を買ひ、南禅の常住に帰して、永く百丈忌日の供へに充てしむ。又じ@うがん清深なる有り。土肥( お)武衛平公の請ひに従って、相州万年山成願禅ついちじ寺を領ず。師を奉じて開山初祖と為す。其の法を嗣ぐ者は、皆一時の竜象なり。遂に之が銘を為って日く。-17-