ブックタイトルふるさと潮来 第六輯

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概要

ふるさと潮来 第六輯

し候事也。一、昔上道具に其時キ手伝い候人の性名、作りなど、或はかたみのためなどといろいろ書付之あるを考へ候へば、店以七年戊の年迄「九円十一年と相凡之供事。uHHU付致したる道日パどもすぐに遣い候。又板へ別段に芹きたるも之あり肢を直ちに同似の内へ人れ置く也。{あしが宇)一、芦茅は、ιt八行むらにて調へ、五人乗りのいけ川瀬川般にて取り候。船は、船持寄進内弐般柏木三右衛門より。扶持米分金壱両弐分、瑞沢妻貞林寄進。一、例殿成就の後、入例安座の次第美々敷く御取斗い、橘屋春内と云う者、おどり狂言を仕くみ、五百年に壱度の事として、村中くつろぎ、前代珍数事と申す事に候事。一、御西山公様より御指図にて、水戸傑より金五拾刷長勝士守へ拝領之あり、其金を以って瑞雲長老には書院くりを立直し成され候事。一、黄門公様には浦陀跡に思召させられ、長勝寺をば大寺に御取立て培はされ度く思召候。風間、或は大門通り浜の川岸ぎわ迄、広く罷り成し、長勝寺の大門通りは見へ目立ち候様に、本町通り新宿より入口のまがり候処をもうすぐに成し、やらい門には黒門を御立遊ばさる可く思召し候。或は長勝寺西の出山の処へは時の鐘を遊ばされ、新嶋、他領のためにも成る様にと前々御物語りを聞き申したる人も之ある由。一、普門院をば久敷無住に成され指置かれ候事も延方村へ引寺に仰付られ其跡地をば長勝寺へ下さる可く思召し候由、領内程の義も之有〔つけどころ)り候処に、黄門様御逝去後、岩船より就ケ所に成され度き由御願イ成られ候に付き、わけ地成され候由。後の畑と山斗をり長勝寺へ下|“ l 、さ卜民れさ/"] fl反れ公1政儀Lh逝は去、は|丙]元年禄六卜月二: 。-f.庚士辰主の弓月ハ日七十御三にて、Afe午’斗り御繁H刊に遊ばされ御座候はば、長勝寺は大寺に御取立遊ばされ吋き物をと、風間之あり候事。一二門下され並びに引取り候事。一、元禄十三年辰六月初の頃、長勝寺長国寺寺社御役所へ百出され、長勝寺の三門をば長国寺へ立て、普門院の三門をば、長勝寺へひかせ候様にと御西山公より仰付けられ候。長国寺は遠方の事に候問、くづし取り申さず候はば、成間敷く候。長勝寺は隣りの事に候間御普請万へ願い御大工の頼みをかりひかせ候様に申候。是又御西山公より御指闘に候と仰付られ候事。一、瑞雲和尚水戸より御帰り、頭立ち候壇中をよせ、右御首尾残る所第弐-42-なきの段御物語り、則ち御郡方御普請方、御役所へも立寄り、右の首尾物語り申候へて、御大工をも、引網をも拝借致す筈に願い置き候。夫に就き候ても、入用金何程入り申す可く候や此才覚いかが致す可く候や、此議に指支え候と仰せられ候に付、寄合の面々も、いろいろ評議候へども、決定致さず候問、利兵衛申し候は、只今奉加らちあと申し候は、只今奉加と申候ても、時がら坪明き申す間敷く候。秋となり、奉加に致し候とも、又芝居事に致し候聖成る御吉事に御座候問、大義乍ら頭立ち候麿中よ成らる可く候。先づ私存じ寄りの処りと少もく此も度御のか市事り旦書付見申す可しと申し候て、書付見候事。