ブックタイトルふるさと潮来 第六輯

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概要

ふるさと潮来 第六輯

付、壱巻弐百文と相定め代物壱貫也御五巻の施主如水又、壱貫也同五巻の施主関戸兵次郎と附け、段々すLめ、いまだ不足に候へども、元文五年申の二月末に同居利右衛門江戸用事にて登り候次第に、金子も不足なれども、先つ弐百巻、二月廿九日御守り申し段々六百巻を成就して五月朔日に修行成られ候事。此時鳥目弐拾疋、とうふ一箱持参如水長勝寺棟札之写当寺仏殿御建立の願主は、奥州二本松神龍山松岡寺の開山大獄和尚の御弟子瑞雲長老也。大獄和尚は、当寺の本山、京也妙心寺へ両度まで御任職遊ばされ紫衣也。水戸中納言様御願いにて、御請待遊ばさせられ、殊の外御尊敬にて水戸に五・六ヶ年指置かさせられ候。その節、殿様仰出され候には、領内板久村に長勝寺と中す五百年余の古跡。幸無住に御座候尤も辺地には候へども、御休息所にと仰せられ、御知行進められ、御尊敬遊ばされ当寺に御住み成られ候御老体の以後水戸へ御隠居御願い遊ばされ候へば、元禄末の四年に、中納言様、御家老中山備前守殿へ仰付けられ、備前守殿より寺社御奉行衆御使者を当寺へ遣わされ、則ち瑞雲長老後住様を御成し遊ばされ候。御入院の翌年、鐘楼堂御建立あり、元禄七年成の春より思召立て此仏殿御建立遊はされ候。誠に当寺の儀は、瑞雲長老御住職無之以前、殊の外零落仕り、少寺の形となり此前の御堂やぶれ果て之有り候。然る所に、瑞雲長老御移りに成り、此壱ケ所ならず御建立遊ばされ候問、たまたま当寺中興開山とも御成り成らるべしと世の人皆申しならはし候。その節瑞雲長老御身の上は、御願い之なく師近大獄和尚を当寺の中興開山に願い避はきれ候へば、中納言様よりも、御家督宰相様も尤もなる御願いの由、御褒美御座候問、首尾よく中興開山に御成りし遊ばされ候、瑞雲長老は貧僧の御身に御座候へども、此仏殿御造立思召し立て遊ばされ候より以後、自他宗ともに帰依いたし、種々の助力とも多くして、思召のままに此の如くの御堂壱ケ所ならず、御建立遊はされ候へば、長老の御事を、世の人、忽然と徳のそなはらせ給ふ御方と申し成し候。大獄和尚の御代にも当寺へ水戸中納言様御成り遊ばさせられ、詩連句の御会合御座候。中納言様御儀は、日本凡無双の博学にて、詩作等の御達者そのかくれ御座なく候。然れども瑞雲長老詩作の儀は、度々の御会席にて、睦目を遊ばさるの由、中納言様の御意に御座候。仏殿造立以後も当寺へ御成り遊ばされ御堂の御建立結構なる由、御悦び仕り遊され候。御家督宰相様へ、御頼み遊はきれ、金子五拾両御寄進有り、元禄九年に、江戸御城に於いて公方様易の御講釈遊ばさせられ候その節、瑞雲長老御用事有り、江戸に成られ御座候処御老中柳沢出羽守般取持を以って右の御講釈御座の聞に於いて拝聴遊ばされ候。その節、当寺の起立、寺中の間地迄御書付を以って上聞に達し候。又は仏殴の地形、長老御念を入れられ、七尺堀り、塩じやりをつぎ込みかため申-54-し候。塩は弐石余を入れ申し候。御普請成就之なき内は、毎日当村名主年寄衆替わり合い奉行にて、村中より人足出し申し候。その節、休蔵主、琳蔵主と申す御出家衆、当寺に御座候て、御世話成され候。此書付破れ若くは自然御堂ふきかえ、破損などとの節、御見出しに成られ候御方御座候はば、御捨て成られず、又仏般へ御込む置き下ださるべく候。此度の造立にむ、むかし此の如くに書き印し申し候。らく書等見出し、用に立ち申し候事ども数多御座候。若し、らく書ともい