ブックタイトルふるさと潮来 第六輯
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ふるさと潮来 第六輯
制茶村先生の漢詩集『墜硯堂詩集』を読むと潮来の四季や花鳥風月を詠じたものが多数あるが、特に花升や盆栽がお好きであったらしく、その種の詩も多い、酒はあまりお強くはなかったようで宿酔を詠んだ詩なども見られるが、決して嫌いではなく折にふれて楽しみ乍ら味わわれたようである。次に掲げる詩のように、お人柄がほのぼのと伝わってくるような好もしいものもある。夏日書斎即事幾種盆栽含露香却士牽~ !WP包幾つ牛? かc 種て午母斎tの笑を匂内主盆う過に栽先ぐ移露生‘ るし呑昼? もてを睡オ花購含のい猶陽む長ほをき活レ避をくく柳移斎内避騎陽牽牛過午花猶活却笑先生書睡長大意幾種かの朝顔の鉢をまだ夜露に花も葉も濡れうるおっている朝のうちに、涼しく風通しのよい書斎に移して夏の熱い日をうけないように場所を変へてやる。そうしておくと午後になっても花は生き生きとしていて、却って『先生(茶村のこと)いつまで昼寝しているのか(もう起きたら)』と朝顔の花が笑っているという意である。誠にほほえましい詩である。四丁目祇園神曾享和一一一年美亥六月七日穂北窪木清測書ぎおんしんえ『祇園神舎』この蛾は享和三年英亥、即ち西暦一八O三年、北総津宮の儒者、窪木清測先生の揮事になるものである。先生は水戸藩の南郡奉行小宮山昌秀(楓軒)の文教政策に協力され、延方郷校が隆盛だった折、つまり文化年聞から安政年聞にかけての時期、水戸藩の委嘱をうけ毎月二度、八日と二十三日に出講され、この地方の子弟の教導に当たられた。同郷の友、伊能忠敬先生とは水魚の交りの間柄であった。忠敬先生の事業の大成は清閑先生の協力による分が大きいといわれる。えさて職の文字の解説であるが『祇園神の会』即ち『祇国会』と同じことであろうと思う。意味は祇園の神の祭礼ということである。そもごずてんのうそも紙国会とは京都祇園社、すなわち八反神社の祭りであるが、牛頭天王(素斐鳴尊)を祭神とする八坂神社が、京都文化の地方への普及とともに、全国各地にひろまったため全国の八坂神社の祭りを総称してこ-61-ういうのである。え『会』とは多くの人が集まって行う仏事、又は祭事、ということで、もともとは八坂神社の『祇国会』と深い係りがあり、貞観年中に行わ