ブックタイトルふるさと潮来 第六輯

ページ
9/108

このページは ふるさと潮来 第六輯 の電子ブックに掲載されている9ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

ふるさと潮来 第六輯

潮来町の象徴的な存在である名刺長勝寺では、先年、昭和の大修理が竣工した。天保十年(一八三九)、地元の文人井口二峰の『潮来図誌』は、潮来を訪れた文人墨客の作品などを集めて編まれた潮来の名所案内所の第一号ともいうべきものであるが、そのなかに「海雲山長勝禅寺は二町目より入。馬場の両がわ松のなみ木にて、山門に十六羅漢をあんちす。仏殿は南向、十間四面の高堂なり。右大将殿の建立なくわりょうしゃうぶんちばいり。堂のかたはらに臥竜松、前に文治梅あり。」とあって、往時の面た。参道の両側の老松も、影が描写されており、昭和四十年代にまでは見られた寺の景観であっ五十年代初めの松食い虫の猛威で姿を消してしまったが、寺には明治四十四年(一九一一)国指定重要文化財となった党鐘とその鐘銘拓本一巻があり、寺の縁起を物語る唯一の史料となっている。昭和30 年代の海雲山長勝寺小泉陽堂・島次泉陽編『筑波山・霞ヶ浦県南観光誌山紫水明』常陽家庭宝典(昭和38 年)所収かり@〈げん鐘銘の作者は、嘉麿元年ご三二六)元朝から来朝した当代超一流の高僧であり、北条高時の招きで、のち鎌倉五山となった建長寺、浄智寺、円覚寺の住持となり、鎌倉幕府の滅亡後は、建武中興を達成した後醍醐天皇の招請で、のち京都五山となった建仁寺、さらに五山のぜいぜっしょうちょう上となる南禅寺第十四世に昇った清拙正澄(大鑑禅師)である。まさに五山文学の第一人者の力量にあふれでいる。この鐘銘を精読すると、いわば従来の定説に対する疑問点が噴出してくるが、それは最小限にとどめて書下しと通釈を試みたい。(第一区) 常陸国海雲山長勝禅寺鐘銘井序寺始於文治元年右大将殿時所立也治今元徳庚午百二十余載乃為鎌倉殿御願所