ブックタイトルふるさと潮来 第六輯

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概要

ふるさと潮来 第六輯

待行事について次のように汗かれている。今夜二十-4夜待とて、家々だんごを製し、一“ 附附敷に机をまうけ、或は棚などに持化灯明を供してけを作す。又、夜半月山の時刻をうかがい、あらかじめ餅を指て、日より直に取りあげて供するもあり。所願ある人は酉の刻より片山まで立て待もあり。月迎とて月出まで東を差して住、或はum恨に也、東に向い合掌し待もあり。又器に中小を盛頭に戴き、umのtに立もあるよし。此夜行人、山伏の類錫杖を持、二十」一夜機へ御ほうらいと呼てありく。月待するものこれをまねけば、門に立て祭文のやうなることを長々と諦して、終には勢至の直言とて唱今夜家々相集て酒宴し、碁、将棋、小唄、浄瑠璃等うる也。様々の遊あり。江戸の中期のこの著書から、各家々の二十三夜待月待の信仰の様子がうかがえる。御ほうらいと大きな声を出しながら歩く行人、山伏の類を、月待をしている人々が呼ぶと、門口に立って祭文などを長々と諦した後、勢至の真言などを唱えたという。月待が、月を拝する信仰であり、終に勢至の真言を唱えたところから、二十三夜の本尊が勢歪であり、行人、山伏とのかかわりがあったことがうか,かえる。また、飲食、種々の遊もともなっていたことがわかる。「諸国風俗問状答」( 日本の石仏二十二号)という江戸時代諸国の風俗や信仰、逼過儀礼などに関する調査のうち、二十三夜に関する回答は、つぎのようであった。O陸奥国信夫郡伊達郡二十三夜待(月神)山伏または神職を頼む、出羽の湯殿山権現参詣O出羽同秋m領是等食品など何事もあらず。大ゃう白粥にて侯。酒盛りして夜を明すもあり。又酒を禁ずるも侯。餅を揚なんども有て、一やうならず、神官、僧徒など招くもあり。あるは里人打寄、念仏し明すも侯。O越後国長岡領諸社に月待、日待あり。守護の札を家に贈る。月待は二十三夜を祭る。田舎に講中ありて三年を経れば、僧を請じて供養し、塚を立るも侍り。O備後国福山領廿三夜待と申に、山伏或は寺へ集り、棋象戯或はかるた等の事、仕侯。-80-O紀伊国和歌山領正、五、九月、武家、町家共日待或は月待など云いて、神明棚へ造酒、灯明などあげ祭る。音曲などの遊びをもなす。山伏などへ頼、祈穏を執行す。日に定日は無し。又毎月十七夜待とて十七日の夜、二十三夜待とて二十三日の夜、神明を祭るも祭らざるもあり。家並にはあらず。O備後国深津郡本庄村正、五、九月、月待と申て、廿三日の夜真言宗の寺院、山伏、修験などの方へ初尾銭を包み、暮方より参詣仕侯。これらのことから、月待の信仰には、神官、僧徒、山伏、修験者などが関係し、さまざまな娯楽に興じ、講中があって、三年たったら僧を招いて供養し、塚をたてたことがわかる。