ブックタイトルふるさと潮来 第六輯
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ふるさと潮来 第六輯
夜米銭ヲ持寄リ、例食ヲ饗シ歌念仏ニクドキヲ人レ、和讃ナドぶフモノノ如ク唱へ、奇妙由来十九夜ノイワレヲ悉シク尋ヌレパ、市無阿弥陀併云々ト、サモ感嘆悲京ノ情アル如クニ問ユル明みナリ。毎月宿ハ順環ナリ。懸銭アリOEノ?ヲ杭ンデ地蔵又ハ如怠輪観青ノ石像ナドヲ立ルトイフ。毎月、順番の宿で去の念仏講が行われ、懸銭を積んで石像などを立てたことがわかる。妊娠、出産、育児などは、交性の大役であり、関心事でもある。それらは、苦しみを伴うものである。「如何に背しみ少なく生きるか。」これは、女性の共通の願いである。幸福への希求は、無学であっても、抵抗なく誰でも参加できる平易な念仏信仰を受け入れることからはじまったのである。これは、ごく自然な形で各方面に浸透して、現世利益をもたらす観音信仰へと発展していったのである。盛んな月待塔の造立は、何といっても、江戸期の経済力が大きく関係していると思われるが、それ以上に、そのような女性の積極的な願いが大きく、女性同志の結束もあったからこそ実現されたのであろう。講は、当番ゃあたり日をきめるなど、女だけで企画されとり行われる。観音の和讃を唱え、部落の如意輪観音をおまいりして、当番の家でおしゃべりし、共同飲食を楽しむのが普通である。十九夜講の主尊は、如意輪観音であるが、しかし、はじめからそうではなかった。二十三日は勢至菩薩が有縁日、十九日は日光菩薩が有縁日で、観音ではなかった。観音系になるのは、近世以隆のことである。十九夜の主尊は、なぜ、如意輪観音になったのであろうか。ある人は、像aw什の美しさ、優しさから、最適だと考えた宗教者が指導隔にいたからであろうと想像している。また、ある人は、如意輪観庄の姿勢、か(片膝を立てて片膝を聞いた姿)安産の姿勢であるからと司口Aノ。如怠輸観百は、党名は、チンタlマニチャクラ。車輪がどこにでも転がるように、立のままに現われ、六道の衆生の苦しみを取り去り、(チンタlマニは、如意宝珠、チャ利益を与える菩躍の意味がある。クラは車輪の意。)種子はキリークである。如意輸が、苦しさ、悲しさから自分をすくってくれると信じたかった。その姿は、美しさ、優しさに満ちあふれ、安産など、女性の願いをかなえてくれる姿として、ぴったりであったのであろう。十九夜講の構成員は、普通、子を産むことのできる婦人の集まりで-82あった。子どもを生み終えた人は、十九夜講(観音講)から二十三夜講へ移ることになる。二十三夜講では、嫁を迎えたり、娘が結婚したり、結婚しても子どもが生まれないと、二十三夜におまいりして子どもを授かろうとすることは、今でも行なわれている。潮来町延方では、妊娠すると、十三夜講員(子を生み終えた年寄りの友性)が、豆腐を供えて、月が出るまで拝んでいたという。安産祈願である。これは、最近まで行われていたようである。二十三夜講が、子を生み終えた女(姑) の講、十九夜講が嫁の講とすれば、十三夜や、十六夜は?ということになるが、それは、娘たちの講であると聞いている。郡山市の竜角寺境内の十九夜塔は、如意輪観音像で、男性講中の名