ブックタイトルふるさと潮来 第六輯
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ふるさと潮来 第六輯
が見られると聞くが、これは珍らしいことである。女性たちの安産を男性たちが祈願したものと解されている。もとをただせば女だけの講ではなかったものが、いつの間にか女だけの講となったところもある二十三夜塔や、十九夜塔の盛んな造立は経済的基盤の上に、この時代が女性にとって、自分を確立するようになった証しであったはずである。女たちは、子育てや料理の方法、病気に対する知識や看病の仕方、家庭内での人とのかかわり方など、女性に共通の悩み悲しみをはじめ生活の知恵を語り合ったに違いない。そこで自分自身をしっかり見つめ、社会に目をひらき、泣き、笑い、語り、踊り、食ベ、歌い合って希望をもち、或いは勇気づけられ、精神的エネルギーをたくわえて次のあたり日まで一生懸命働いたのであろう。ふだんの生活では、当り日で得た知識を試し、工夫し、応用して自信と希望に満ちたものであったかもしれない。もちろん、女につきものの嫉妬心などはあったであろうし、すべてがパラ色というわけにはいかなかったであろう。この時代に、女性だけのこのような積極的な行動や生き方は、他にあったであろうか。そして、それが今でも受け継がれている点で驚ろきである。それでは、なぜ、月待信仰から出発した二十三夜講や観音講が、これほど永く存続されてきたのだろうか。その要素は、何であったのであろうか。それは、食べる、飲む、語る、歌う、踊るといった人間の本能、本音が発揮できる「場」がそれらの講であったからに他ならない。人間が、この地球上に存続させ、生きているものは、すべて人間の本音の部分と関わりがあろう。月への素朴な信仰からはじまった信仰が、仏教の伝来によって、特定の仏の存続を認め、陰陽道の影響を受けながら、月待信仰、念仏講一部が十九夜、二十三夜のように女人の講となった。そへと発展し、してこれが、人間(女性)の本音の発簿できるところともなってのである。それ故に、月を見、お経を唱えるといった講の本来の目的は、本音で言えば、「どうでもよかった。」といったら言い過ぎかも知れないが、少なくとも従であったと思われる。二十三夜も、十九夜も、当り日には、働かなくてもよく、家を出かけられる公認の日であったろうから、この点で両者は共通である。女人造立の月待塔は、現代にも優る女の強さ、勇気と智恵とを教えてくれた。-83-おわりに月待塔についての研究は日本でも数少ない。それだけに歴史学、民俗学その他の研究の資料として貴重である。道路の整備や拡張など、時代の流れとは言え、失われ行くものは多く、月待塔などの石造物も例外ではない。それに対して淋しく残念に思う。せめて、時代の隅においやられたそれらの所在を確認し、調査し、残すことは意義あることと思われる。月に対して、現代では科学的に解明された部分が多いが、私は、古の人々に思いを馳せ、異った視点から石塔を通した月への夢をもち続けて行きたいと思う。私の調査には、土木調査のものや、解釈の相違もあろう。多くの方々の御意見を御願いする次第である。