ブックタイトル潮来の昔話と伝説
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潮来の昔話と伝説
「水をいっぱい呑まん」という。そこでお爺さんは、叩いてきた鐘に山裾にある種子井堀から水を汲んで差し出すと、「頭からぶつかけよ」というので、かけるとス!と消えた。また出て同じことをいうので、お爺さんは「この世に何の未練があるのか知らないが、供養して進ぜる程に浮かばれよ」。といい聞かせて、元来た道をひき返して普門院に行かんとすれば、後よりついて来るので、鐘を叩きお経を唱えつつお寺の山門に入るとその姿は消えたそうな口日ごろより親しい方丈様に詳しく話して、懇にお経を唱え、お経の功徳に依り安心して成仏しなされよと、方丈様から卒塔婆を戴いて、先程の種子井堀に卒塔婆を建ててお念仏を上げたそうな。方丈様のおっしゃるには、お産で死んだ若妻の霊であったそうな。その後もお産で亡くなると、この種井戸に竹笹四本を立て、髪の毛や経文を吊し、水柄杓を添えて置き、通る人々や、亡くなった人の話を聞いた人達や、観音構の女達が足繁くお参りに来て、水をかけ香を上げて弔らってあげたそうな、このようなことは第二次大戦前まで残っていた風習でした。戦後にはりっぱな富士山形の摺鉢を伏せたような三十米と高かった浅間山も、頂上に鎮座ましました神社も鳥居も跡形も無くなり、種井堀も無い、古高本道も削られ、通行不能と成り、今は跡無く新延方小学校の裏嵯上辺りで、現在は住宅が建ち、お浅間山は戦後売られて、延方内浪逆浦干拓地の用土となってしまった。(延方) -93 -