ブックタイトル潮来の昔話と伝説

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概要

潮来の昔話と伝説

路のない昔水路による。この地方こそもっとも文化の進んだ筈、内海なれば外海のような危険はなく、魚貝も多かっただろうから、この地方を手中に入れると入れないとの差は大きい。猪ノ山中北寄りの山腹に駒留石なるものがある。由緒の駒留石探査する山中、薮の中なるに拘らず戦時中のこと武運長久の張紙も見え妻銭もちらばっている。なるほど八幡太郎義家は武神である。そうとあるべきものと感じ入る。石の大きさは畳一枚はなかろう。表面に馬蹄の跡と見るべき窪所がある。後三年の役、義家が京洛への帰途湖岸道路を南下してくると、油断大敵義家は矢面に立ち敵は侮り難いものがあると、義家はこの石に駒の蹄を立てて戦いの計をねる。計成って部下を叱呼督励せしも苦戦となり、旗をかえして決死一番の戦いに及ぶ。武運は常に義家にあり、義家勝って誇らずこの地旗替に八幡様を記る。北浦沿と松林の中に茅葺の一宇のお宮がこれであります。一説には義家が東国征伐の折、浪逆浦まで進軍せし所、暴風雨にあい、船は漂流して水原の岸まで来りし時、白旗が飛んで岸の松にひっかかったのでこの松を旗掛の松という。義家は危難をまぬがれて上陸して土地に宿り、また白旗をひるがえして進発したのでこの土地が旗替の地名となる。(延方)-99 -