ブックタイトル潮来の昔話と伝説

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概要

潮来の昔話と伝説

浪逆浦浪逆海、鹿島行方ト、なさかうみ『新編常陸国誌』には『浪逆海』として、大要次の如く記載されている。しもうきうみかみかとりウチウミまんようし?っ下総ノ海上、香取ノサシ向カエル問ナル、両国ノ内海ノ名ナリ、万葉集ナサカノ海ノ玉藻コソ、ヒケパ絶ヌレ、何ドカ絶エセム、トヨメル浪逆浦の歴史は古く、ノ国歌ノ中ニ、常陸ナル、ハコレナリ、ひょうたんがたそと浪逆浦はかくの知く大きな流海であったが、次第に縮小して行くうちに、瓢箪形になり東を外、っち浪逆浦、西を内浪逆浦と区別された。年代は不祥なり。浪逆浦の利用は水戸藩より潮来村が許可されたもので享保十年(一七二五)納入していた。その額は採藻の分が一ヶ年金一両、魚海が七両二分、鳥猟が金十両で明治四年廃うんじようきんより年々運上金を-100一藩まで納入した。ひきあみあじろすだてかぱまき当時、藻、草、雑魚類は貴重な肥料だった、公許された魚漁の方法は引網、網代、筆立、蒲巻、おだりょうせん於采漁でこれらは指名制で就業した。なお、答一は潮来村民に限り何人にても勝手であったD 鳥猟もちなわがんかもは鶏縄にて捕らへることとし、鉄砲、網等は禁止して鳥を集めることに勤めた。猟鳥は雁、鴨、はねしろこがも〈ろかわにおうたかわし羽白、小鴨、黒皮、鳴等で捕獲せし鳥類は江戸に出荷された。鵜、鷹、鷲等は害があったので特別に許可された猟師二人が、村役人立会いの上、これを鉄砲で狩猟した口魚漁も鳥猟も運上金を取って、若干、藩へ納め、残りは村役所の経費に使用した。浪逆浦が昔日の潮来の農業や漁業を始め村民の生活に貢献した量は計り知れない。(潮来)