ブックタイトル潮来の昔話と伝説

ページ
28/118

このページは 潮来の昔話と伝説 の電子ブックに掲載されている28ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

潮来の昔話と伝説

潮来の弁天様千葉県香取郡小見川町に園部城跡がある。江戸時代に園部城主の流れをくむ園部氏が潮来に移り住み、その守り氏神様として、安芸国(広島県)巌島の弁天を杷ったという。園部源助の時に平地では火災の心配もあり、もったいないので当時の園部氏の持山であった現在の弁天山の中腹に記りかえたのが潮来弁天の起源であるといわれている。この弁天山は茨城県潮来土木事務所北方、国道五十一号線を横ぎり狭い田圃を越えた所の海抜二十米の山で行方台地の南端に位置し弁天台地ともいい、先史時代古代人の良き住居地域でもあった所である。江戸時代末期には潮来陣屋がこの台地上に構築されたが、天狗騒動の時焼失し昔を偲ぶよすがもない口この台地の南側斜面の中腹、松林に固まれた所に一間四方(一・八米平方)位の小さいトタン葺切妻式の洞がある口弁天はインドの女神であり、七福神の一人で美人で音楽と弁舌を司る素晴らしい神であると信仰されている。弁天様は白蛇に乗って世界を廻られるといわれているが、潮来弁天でも二尺約六十糎)位の白蛇が住んでいたことがある。世界第二次大戦前すなわち昭和十六年前には、容量二斗(約三十六立)もある男がめと女がめ、それに一升(一・八立)、二升(三・六立)、三升(五・四立)位の小がめが二十個程奉納されていたといわれているが、戦時中かめの品不足により信者が借りて持ち帰り、現在は堂の中に数個、堂の外に数個奉納されているにすぎない口このかめは蛇が棲み家とするもので「願い事が叶うとハUηL