ブックタイトル潮来の昔話と伝説
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潮来の昔話と伝説
かめを奉納する」昔からのならわしによるものである。戦前にあった大きな男がめと女がめも芸を競った二人の潮来芸者が、素晴らしい芸が達者になり願い事が叶ったお礼に弁天様に奉納したものといわれていた。潮来弁天は、商売繁昌と芸達者それに美人になることをお祈りし、とくに江戸時代から花街に関係する女郎や芸妓達の信仰の中心であったのである。祭日は毎年九月の巳の日で、信者達は「おむすび」ゃ「おかず」を二品・三品と作って奉納するという。TBA 。,“また、大正末期頃までは毎月十一日の御縁日には旧潮来・津知・延方地域の按摩さん達が十数人集って「按摩相撲」をとって大いに楽しんだものだといわれているが、今ではそのならわしもすたれて見られないのは残念である。昭和の始めごろから弁天様の境内に、日蓮宗日本山妙法寺の庵住様が住み弁天様をお守りされ、現在の庵住様は第三代目の方といわれている。また、戦前には、白い紙で牡丹のような造花を作り、神前に供え、お参りするとその花びらを一片づっ戴いて財布に入れ持ち帰るとご利益があり商売繁昌、金がたまったといわれているが、このならわしも今ではすたれて見られないのは誠に惜しいかぎりである。現在弁天様の管理は素しめなわ驚熊野神社がこれに当たり、また、正月二日には園部氏の子孫である園部清氏が七五三縄とお供えを奉納して古くからの伝統を受けついでおられる口(潮来)