ブックタイトル潮来の昔話と伝説
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潮来の昔話と伝説
源兵衛が掬った天王様天安年代(八五七j八五九)潮来町四丁目に、磯山源兵衛という漁師があり、浪逆浦で引網を行っていたら、突然網に重いものが入った。引上げるとさん然たる光を放って目もくらむばかりであった。みるとそれは神輿なので、船を漕ぎ返そうとしたが霧のため、方向を失い、ようやく稲井川の西岸に着いた。この一帯を今も天王原という。その後文治四年(一一八八)には神輿は四丁目の十郎屋敷に移せんざされ、さらに元禄九年(一六九O)徳川光固によって今の大六天山に遷座した。十郎屋敷では今も天王岸という。神輿は六月七日に行った塙村(鹿嶋市) のもので、若者たちがかついで霞ヶ浦へ入った所、浅瀬だと思った場所が意外に深く、若者たちは神輿を捨てて泳ぎ帰ったのだという。この事が判明したので、潮来では神輿を塙村へ返した。今のは安永二年の製作と伝えられている口以上の伝説で、社の神は漂着神で、その発見者は磯山源兵衛ということになる。磯山源兵衛家は四丁目に現在し、当主は祭礼の中で重要な役割をもっている。出社出幸と遷御の神輿上に磯山家当主が乗り、その手に小さなサテ網を摸したものを持つのである。昔の記録には「当初神体を掬ひ揚し即ち六月七日を祭日にと定め、予じめ四丁目河岸に仮宮を造り、六日の朝、源兵衛の子孫、頭に白布の鉢巻を施し身に同じ浄衣を着け(維新後麻の上下に改む)手に夜叉手(小網を云ふ)を持ち神輿の台に分乗し、無数の牡夫之を昇き、下山して仮宮-80-