ブックタイトル潮来の昔話と伝説
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潮来の昔話と伝説
に遷御す、翌七日源兵衛裸体にて前途の如く神輿に分乗し、仮宮の前の河岸に安置し、祭典を執行す。此を渚祭と云ふ」と記している。その神輿の渡御には、「乗った、乗った、だ(誰の意)が乗った、磯山源兵衛が乗った」と、昔から子供達がはやしたてる風習がある。磯山源兵衛は仮宮へ下れと帰還のさいは、麻上下を着て、手に網を持って神幸する恒例であったが、その子孫も代々先祖の行った通り、神輿の役乗をし-81一て、若者達を指揮した。A014F』t,『1J 〉た」とはやしたてるのだという。面白いのは磯山源兵衛とその子孫は出御のとき、そこで女や子供は「乗った、乗った、誰が乗っサデ(魚をとる手網)を持って指揮し、祭典後は樟一つになって神輿に乗り、川洗い式に臨むこともあった。そこは女人禁制であったまた磯山家では、祭礼前七日七夜水を浴びて、浴び垢りをし、七、八畳位の板行場で炊事をし、キュウリは作らず食べなかった。ま(別火)。食事も四つ足は食べず、潮来の数え歌からた下肥はいっさいいじらない。生涯丸坊主であったという(現在はやらない)。七っとせーなかなか磯山源兵衛は神輿に乗っても落ちゃせぬ(潮来)